市は、盛岡城跡への歴史的建造物の復元に向けた調査を進めています。その取り組み状況や確認された史資料などについて全3回で紹介します。
■調査報告~移築建物等調査~
盛岡城には、天守や櫓(やぐら)・門・貴重品を所蔵する宝蔵・諸道具類や食糧などを保管する蔵のほか、初代藩主を祭る櫻山御宮(淡路丸大明神)や吹上三社・榊山(さかきやま)稲荷といった施設など、さまざまな建物がありました。城には藩主である南部家が居住し、藩の政務や儀式が執り行われていました。
戊辰戦争を経て、盛岡城が明治政府の直轄地となると、次第に城内の建物の維持管理が困難となります。明治7(1874)年3月には、城内の建物のほとんどが払い下げられることとなり、多くの建物が撤去されました。
現在の盛岡城跡には、盛岡城の土蔵である「彦御蔵」(市指定有形文化財)が移築されて残っています。ほかにも、払い下げにより、盛岡城にあった建物を移築したり、部材を再利用して建てられたと伝わる建築物が市内外に複数存在します。
当時の盛岡城の建築部材や意匠などに関する情報を集めるため、このような伝承が残る建物などについて、所有者のご協力をいただき、現在までに14件の調査を実施しています。
■移築・再利用の伝承がある建物
盛岡城内の門の一つと伝わっているのが、清水寺(西見前)の山門です。山門に残された棟札(むねふだ)(建造の年月日や施主(せしゅ)、大工などの名を記して建物に取り付けた板札)には、「上棟」「御門」「明治十三年辰九月七日」などと記されています。
盛岡城内のどこにあった門なのかは不明ですが、一説には台所(現在の盛岡城跡公園内多目的広場付近)の門とされ、伝承と棟札に残された記録から、盛岡城払い下げの建物である可能性は高いと考えられます。
皆さんの身近にも、思わぬ形で盛岡城の一部が残されているかもしれません。何かご存じのことや気になることなどありましたら、ぜひ情報提供をお願いします。
問合せ:盛岡城復元調査推進室
【電話】613-7956
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