■益田を代表する山城「七尾城」を知って、山城サミットをもっと楽しもう!
11月16日(土)・17日(日)の2日間、全国の山城ファンが集う一大イベント「第31回全国山城サミット益田大会」が開催されます。16日(土)は島根県芸術文化センター「グラントワ」で七尾城の魅力を深掘りするシンポジウム、17日(日)は七尾城とその城下であった益田地区で「中世益田ビッグフェスタ」が開催されます。
本号の特集では、山城サミットをもっと楽しむために、益田を代表する山城「七尾城」について紹介します!
1.益田を代表する山城「七尾城」!
いよいよ今月、益田で「全国山城サミット」が開催されるね!
「やまじろさみっと」?それ何?
そもそも、益田にお城があったの?
そうだよ!益田にはお城があったんだ!
「全国山城サミット」は、全国の山城がある市町村などが年に1回集まってみんなで交流するイベントだよ。
益田にお城が!?すごーい!
どこにあったの?天守閣は?石垣は?
市内にはたくさんの山城があったんだよ。
中でも、七尾城は益田を治めた益田氏の居城だったんだ。でも、お城といっても天守閣や石垣はないんだ。
え~、そうなんだ…天守閣も石垣もなくてお城なの?
お城のイメージといえばそうかもしれないね。でも、山城もとっても魅力的なんだよ。
2.七尾城ってどんな城?
よーし、じゃあ、さっそく益田を代表する山城「七尾城」を紹介しよう。
下のイラストを見てごらん!
山みたいに見えるけど、あまり木が生えてないね~
これは七尾城の昔の姿を想像して描いたイラストだよ!山城では木を伐りはらって見晴らしを良くしているんだ。
この見晴らしの良さには理由があるんだよね?
遠くまで見渡せるようにするため、下から登ってくる敵にいち早く気づくため、さらに、登ってくる敵を攻撃するときに敵が身を隠す場所をなくすためだよ!
ひゃー!戦うためのお城だったんだ!
3.難攻不落の七尾城!
ほら見て、山のてっぺんが平らになっているよ。
とがっていると不便だから削って平らにしているんだよ。この平らにした部分を曲輪(くるわ)と言うんだ。
えっ!?どうやって平らにしたの?
さっきの木もそうだけど、今みたいに機械なんかない時代だよね?
たくさんの人が一生懸命に木を伐ったり地面を削ったりしたんだ。山の姿を変えてしまうほどの土木工事が行われたんだよ。
想像もつかないし、やれと言われてもぼくには無理だよ~
そう考えてみると、すごいよね。
イラストの七尾城は、右側が北で左側が南なんだけど、北から南まで600メートルくらいあるんだよ!
ほかにも、尾根や斜面を削った切岸(きりぎし)や堀切(ほりきり)、山の上から下に縦に掘られた竪堀(たてぼり)で守りを固めていたんだ!
4.実際に登って想像してみよう!
よく見ると、七尾城っておもしろい形だね!アルファベットのYみたい!
そうだね、Y字状をしているね。
今の七尾城には西側にある住吉神社の方から登るけど、もともとは北側の益田川の方が正面だったんだよ。
北側に開いている2つの尾根の間を登ろうとすると、両側の尾根から弓矢を射られたり石を投げられたり、さらに鉄砲で撃たれたりしたんだ。
お城を守るために、簡単には登れないようにしていたんだね。
そうだね。今から450年くらい前の戦いが多い時代のお城だからね。実際に登ってみて、山の中に今も残っている切岸や堀切、竪堀に注目してみると、その場所でどう守ろうとしていたのかが見えてくるよ!
平らになっている山の上には何があったのかな?
七尾城は山の上に庭付きの立派な御殿があったみたいだよ。たくさんの人が暮らしていて、宴会も開かれていたようだよ。
そうなんだ!どんな眺めだったのかな?想像したらわくわくしてきたよ!
※詳しくは本紙をご覧ください。
■七尾城跡
中世益田の領主益田氏の居城。益田川左岸の標高118mの丘陵上に位置する。大小30余りの曲輪が延長600mの尾根上に展開する、戦国大名級の山城。
・医光寺の前にある立派な門は、もともとは七尾城の正門(大手門)だったといわれているよ!
医光寺総門(島根県指定文化財)…七尾城の大手門が移築されたものといわれている。
■七尾城跡を空から見てみよう!
七尾城跡とその城下を上空からドローンで撮影した動画を、益田市公式YouTubeチャンネルで公開しています!
「ぜひ見てね!」
・益田市公式YouTubeチャンネル「日本遺産関連」
※4ページ益田の山城探訪(最終回)「七尾城跡」もあわせてご覧ください!
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