■第3回 高津城跡(たかつじょうあと)
今年11月16日(土)・17日(日)に益田市において「第31回全国山城サミット益田大会」が開催されます。
これにあわせ、本連載では市内の代表的な山城を紹介します。
鎌倉幕府が滅亡した1333年、高津道性(どうしょう)を大将とした軍勢が幕府の出先機関であった長門探題(ながとたんだい)(山口県下関市長府)を攻略しました。この功績もあってか、高津氏は後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権下で石見守護(いわみしゅご)または守護代を務めたようです。これらのことから高津氏が相当な実力を持っていたことがわかります。
この高津氏の本拠が益田市の高津であり、その城、高津城が築かれていたのが、現在の高津柿本神社の境内です。
南北朝の動乱の最中の1336年から翌年にかけて、高津氏ら南朝方と北朝方とで高津城の争奪が行われ、北朝方が攻略に成功しました。また、応仁・文明の乱(1467~77年)の際も東軍方と西軍方で攻防があり、西軍方の益田氏が攻略しました。
高津柿本神社は、1681年に津和野藩によって現在の場所に移されました。本殿や拝殿などの建物は、かつての高津城の曲輪(くるわ)の跡に建てられていると考えられます。
高津城の地形は、平野に突き出た形をしており、尾根伝いに攻められるのは一方向に限られます。また、北側には白上などを経て長門国に向かう長門道(ながとみち)、南側には石見西部の物流の大動脈ともいえる高津川を眼下に収めます。高津城は、交通や流通の要衝を押える位置にありました。
「第31回全国山城サミット益田大会」の開催を記念して、市内の山城をめぐる益田市内山城ラリーを実施します。
・第2回「高津城跡をめぐる」
日時:6月9日(日)10:00集合
場所:高津柿本神社駐車場
問合せ:市文化振興課
【電話】31・0623
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