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■古墳時代の水筒?~中大平古墳(なかのおおひらこふん)から出土した提瓶(ていへい)~
7月に入り梅雨が明けると、いよいよ夏本番を迎えます。厳しい暑さの中、冷たい飲み物を飲みたいときは、水筒が必需品となります。水筒は、近年発明されたものと思われがちですが、現在の水筒が開発されるよりはるか昔の古墳時代にも、水筒のような形をした土器が使われていたことは、皆さんご存じでしょうか。
本市木戸町の中大平古墳からは、水筒のような形をした提瓶という須恵器(すえき)(古墳時代から平安時代に日本で生産された土器)が出土しています。
提瓶は「さげべ」とも呼ばれ、土器の両肩部分についている環状の部分に紐を通し、内部に飲み物などの液体を入れ、現在の水筒のように体に提げて使用されていたと考えられています。
須恵器の製作技法は、5世紀頃に朝鮮半島から日本へ伝わってきました。それ以前の日本では弥生土器や土師器(はじき)など、野焼きで700℃ほどの温度で焼かれた、赤色の土器を使用していました。これらの土器は比較的柔らかく、水を通しやすい特性があります。対して須恵器は、窯を用いて1,200℃程度の高温で焼かれるため、硬く頑丈で、水分に強い土器となり、水筒のように使用することができました。
須恵器の色は、焼成の最後で酸素が遮断されることで、灰色となりますが、高度な技術が必要なため、まれに酸素が窯の中に入ってしまい、赤く変色してしまった失敗作ともいえる須恵器が見つかることもあります。同町で見つかった提瓶はとても出来が良く、技術力の高さを感じることができます。
また提瓶の両肩に付いている環状の部分は、時代とともに次第に退化し、やがて消滅していきます。
同町の提瓶は、環状の部分がある古い形式のもので、実用性も残す一方、古墳から出土したことから、何らかの葬送儀礼に用いられたものであると考えることができます。この提瓶は、庄原市歴史民俗資料館に展示していますので、ぜひ見に来てください。
問合せ:田園文化センター
【電話】0824-72-1159
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