文字サイズ
自治体の皆さまへ

第16回ふらっと徳島 歴史と文化財めぐり 紙屋町(かみやまち) 殿様のお墨付きをもらった町

22/24

徳島県徳島市

紙屋町(かみやまち)とは、徳島城下(じょうか)の町人が住んだ内町地区の最も北にあった町で、現在の徳島市一番町1丁目から3丁目に当たります。
江戸時代の初めまでは寺島町または寺島古町(こちょう)と呼ばれていました。徳川家康が豊臣秀頼を倒した大坂の陣の翌年、元和2(1616)年に、初代藩主蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)により、紙の独占販売を認める特権(お墨付き)を与えられ、紙屋町(かみやまち)が誕生しました。
特権が付与された理由は、一説によると、紙屋町(かみやまち)は城(しろ)に近く武器・武具(ぶぐ)を扱う商人が集まっていたのですが、大坂の陣を最後に戦乱が止み、武器・武具(ぶぐ)は不要となり、彼らを保護するためであったとされます。
これ以降、紙屋町(かみやまち)以外では紙類(かみるい)の売買が禁止され、特権は幕末まで維持されました。また、紙屋町(かみやまち)の軒数(のきすう)も次第に増加していき、貞享2(1685)年には87軒となりました。
ところで、紙屋町では「清玄(せいげん)さんのお祭り」という奇祭が行われていました。毎年5月5日の節句に、町内の家々に注連縄(しめなわ)を張り、竹を編んで作った直径2メートルほどもある清玄坊(しんげんぼう)の大きな面が町を練り歩いたそうです。
清玄坊(しんげんぼう)は、城山(しろやま)に住んでいた修験者(しゅげんしゃ)で、徳島城の築城時に立ち退きを拒み、殿様の怒りを買って紙屋町(かみやまち)で斬り殺されました。以降、清玄坊(しんげんぼう)の霊を慰めるとともに、町の人々の無事息災を願って祭りが行われていました。清玄坊(しんげんぼう)の面は戦災で焼失し、その後、昭和40年代に復活しましたが、現在では祭りは行われていません。
紙屋町(かみやまち)の地名は、昭和50(1975)年に一番町に変更されました。往時をとどめるものはありませんが、殿様のお墨付きを持つ特権商人の町、奇祭の町として、これからも語り継いでいきたいと思います。

問い合わせ先:徳島城博物館
【電話】088-656-2525【FAX】088-656-2466

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU