■演題「岩城島ゆかりの近代短歌を鑑賞する―三浦敏夫や若山牧水、吉井勇を中心に―」
講師:青木亮人先生(愛媛大学教育学部教授)
日時:12月23日(土) 14時~15時40分
場所:岩城総合支所 2階大ホール
令和5年12月23日(土)に、令和5年度上島町文化財講座が開催されました。講師に、愛媛大学教育学部教授の青木亮人(あおき まこと)先生をお招きし、「岩城島ゆかりの近代短歌を鑑賞する―三浦敏夫や若山牧水、吉井勇を中心に―」という演題でご講演いただきました。
青木先生は、若山牧水や吉井勇の家族に対する思いや抱えていた問題に触れ、2人とも心身が疲れ切った状況で岩城島を訪れたことを説明しました。そして、三浦敏夫や2人の歌人が詠った短歌を紹介しながら、当時の歌人の心境等について解説されました。
講演を聴講した方々からは、「三浦敏夫と若山牧水、吉井勇のつながりが理解できた」「短歌を詠んだ歌人の人間らしさや人生を知ることで、その歌の深みや味わいが出てくることがわかった」「旧三浦邸や三浦敏夫さんが建てた歌碑が現在に残されていてよかった」といった意見をいただくなど、上島町の歴史・文化を再確認する機会となりました。
三浦敏夫は、短歌を趣味としていたことから、若山牧水と交流がありました。
牧水が岩城島を訪れた大正2年。当時、牧水は故郷の宮崎県にある家を継ぎ、医者になることを家族から切望されていましたが、歌人を志して上京の道を選び、その途次に友人の敏夫が住む岩城島を訪れました。三浦邸の離れ座敷「聴松庵」に逗留した牧水は、敏夫と即興で短歌を詠むなどして過ごしました。逗留中、歌集を編集しようとした牧水は、故郷に残した家族と歌人を志す自身との間で葛藤し、思うように作業が進みませんでした。その様子を見ていた敏夫は、牧水に代わって歌集をまとめ、牧水第6歌集「みなかみ」が誕生しました。
この岩城島での旅の様子は、牧水の随筆「島三題」に記され、これを見た吉井勇もまた岩城島に興味を持ちました。
昭和11年に岩城島に来島した勇は、牧水と同じく聴松庵に逗留し、昭和3年に亡くなった牧水を、敏夫と2人で偲びました。
昭和27年には、敏夫に招待された牧水の喜志子夫人が岩城島を訪れ「若き身に余る憂いをつつみもちていく日をここに宿りましけむ」と歌を詠み、亡き牧水を偲びました。
敏夫は、牧水が即興で詠んだ歌と喜志子夫人の歌を刻んだ歌碑を造り、現在の郷土館中庭に建立しました。敏夫は「師は曽て島守と吾を呼びにけり今日より吾は島の歌碑守」と詠い、歌碑守として晩年を岩城島で過ごしました。
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