大洲市を流れる一級河川肱川。愛媛県下で最大の規模を誇るこの川は、幾度もの氾濫を繰り返してきた一方で、流域に暮らす人々に多くの恵みを与え、また私たちも肱川を活用しながら発展してきた歴史があります。
このコーナーではみなさんの住むこのまちと肱川のこれまでとこれからについて、現在までの取り組みを踏まえながらお知らせしていきます。
第1回はまずこの肱川の名前や特徴についてです。
■なぜ「肱」川?
肱川の名前を歴史上初めて見つけることができるのが、寛永15年(1638年)、大覚寺宮空性法親王(だいかくじのみやくうしょうほうしんのう)による四国巡礼の記録「空性法親王四国霊場巡行記」にある「比志の大津城、皆比志川を盾にして」の記載です。
そしてその名の由来ですが、
(1)大きく折れ曲がった川の流れが人の「肘」のようである
(2)人柱にされた娘の名前が「おひじ」だった
(3)川の周辺に湿地が多く、それを意味する「ヒジ」に由来など諸説ありますが、(1)の「肘」が由来として用いられることが一般的です。
■肱川の大きさ
肱川は本流の長さは103km、流域面積1,210km2を誇る川ですが、西予市にある源流から長浜の河口を直線で結ぶとわずか18kmしかありません。源流地点の標高は460mで、この高さを103kmかけて流れます。また支川の数は474本と多く、これは日本で5番目の数となっています。つまり、多くの支川から集まる豊富な水量が非常に緩やかに流れることが特徴です。
この肱川のたゆまぬ流れの中で、さまざまな産業・文化・観光を私たちは創造し、歴史を紡いできました。次回からはそれぞれの分野にスポットを当て、この母なる川と私たちがどう関わり、どう暮らしてきたか、そしてこれからの未来についてご紹介します。
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