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人権・同和教育シリーズNo.156

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愛媛県西条市

■農民の声を胸に社会改革
今月は、何度も検挙・投獄されながらも、全ての差別に苦しむ人々の解放を願い活動した農民運動家、林田哲雄氏から人権を学びます。

今をさかのぼること102年前、1922年(大正11年)3月3日、全国の被差別部落の人々約3千人が、岡崎公会堂(京都市)に集まり、歴史に残る全国水平社の創立大会が開かれました。
愛媛県においても1923年(大正12年)、温泉郡(現東温市)出身の松浪彦四郎氏らが、4月18日、松山市において全国水平社支部発会式を挙行しました。いわゆる全国水平社支部としての愛媛水平社が誕生して100年を超える年月が経過しています。

「先駆者たる君が功績は石鎚の峰の如く不滅の光こうぼう芒を放つ」(林田哲雄顕彰碑 小松町新屋敷)

これは、農民運動家であり、小作争議や部落解放運動を指導し、戦後衆議院議員となった林田哲雄氏の顕彰碑に刻まれた一文です。林田哲雄氏は1899年に小松町に生まれ、小松小学校、西条中学から大谷大学に入学。社会改革を志し、社会運動に参加するようになりました。在学中に全国水平社創立大会に参加、その後大学を中退し故郷で水平社運動を起こします。1924年に開催された第1回周桑郡水平社大会に参加するなど、全ての底辺に置かれ差別に苦しむ人々の解放を願い、運動を行いました。その間、警察に検挙されること70余回、投獄されること5年余りと言われています。妻・末子は生計を支えるために助産師として働き、農民組合の書記の人たちと共に林田哲雄氏を支えました。
戦後は、GHQの指揮のもと、封建的な地主制度は完全に崩壊し、戦後日本の農村は自作農民がほとんどとなりました。戦後の農地改革は、戦前の林田哲雄氏を代表とする農民運動家や多くの小作農民、被差別部落の人々などの運動が大きく影響したといえるでしょう。
郷土の先人を通して、現代に生きる私たちが普段から当たり前のように受けている権利について、少し考えてみませんか。

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