■みんなの日本語
国際交流員 Adam Simmonds
日本の古墳に興味があって、古代史の本を読むことがあります。ある国の社会や文化、歴史を知るなら、得られる情報が確実に多いため、その国の言葉で調べるようにしています。古墳関連の英語の資料が少ないので、日本語で調べるしかありません。見慣れない字や専門用語が多く、イライラすることもありますが、自分にとって新しい発見も多くて、ワクワクします。
たまに日本語の本や記事を読んで、違和感を覚えることもあります。それは、「わが国」という表現を見るときです。日本人ではない自分が「わが国」を読むと、落ちていた知らない人のラブレターを拾って、勝手に読んでしまっているような気分で、ほのかに罪悪感を覚えます。
「わが国」という表現は、日本語は日本人のみが使う言葉という意識から「読み手も同じ日本人だろう」という思い込みがあってか、同じ国民としての微妙な親近感が紙面から浮かんできます。
日本語は、日本人だけが使うものではありません。日本に在留する外国人が増え続けるとともに、日本語を使って生活をする外国人も増えています。全員が日本語を不自由なく使えるというわけではありませんが、一生懸命日本語を勉強して、日本の社会で自立しようとしている人が多くいます。日本語を通じて、日本をもっと知ろうとしている人もたくさんいます。
「わが国」のような表現は、外国人に読まれる可能性を想定していないだけかもしれません。しかし、多文化共生社会では、日本語を読んでいる人は、日本人ではない可能性が十分にあることを認識することが大切です。
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