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教育の広場(2)

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愛知県弥富市

■広島研修

◆広島研修
十四山中学校 飯田 唯智(いいだ いち)

◇広島の歴史で学んだこと
さまざまな歴史に触れる中で最も記憶に残っていることは、平和記念資料館へ行ったことです。過去に起きた悲惨な出来事を包み隠さず判然たる様子で映し出されており、今でも資料館で見た情景が脳裏に焼き付いています。当時の写真や現物、被爆者のイラストなどの資料で原爆の恐ろしさを物語っていました。また、原爆の恐怖もさることながら後遺症もまた畏怖の対象でした。生き抜いたと思ってもまだ魔の手から逃れられていないという絶望は計り知れません。この痛ましい惨状を資料館で見せつけられました。過去のことを正しく知るため、理解するために資料館を訪れることができて、とても有意義な時間を過ごすことができました。

◇建築物の構想
ガイドさんの話を聞いていて、建築に多大なる工夫が施されていることを初めて知りました。その中でも一番驚いたのが、平和記念公園での工夫でした。この公園には原爆死没者慰霊碑という亡くなられた方を弔う倉のようなものがあり、それを正面から見ると平和を祈る炎と原爆ドームが一緒に見えるようになっています。また、平和への思いがゆっくりと原爆死没者慰霊碑に向かっていけるようにするため、公園内にある芝生が斜めになっていました。ほかにもさまざまな着想が散りばめられており、感銘を受けました。

◇感想
過去にこのような出来事が起こったことをこんなにも深く学ぶことができてよかったです。そして、改めて戦争をできる限りなくしていくことが大切なんだと感じました。この世の中が平和へと向かっていけるようなことを少しずつでもしていきたいなと思いました。

◆広島の過去
十四山中学校 和田 陸(わだ りく)

◇平和記念公園を訪れて
原爆ドームは当時のまま残されており、鉄骨が曲がっていたり、壁が壊れていたり、重さ数百キログラムのものが遠くに飛ばされたりと原子爆弾の恐ろしさを物語っています。平和の鐘には世界地図が書かれており、国境が引かれておらず、人々の戦争反対の強い思いが伝わってきました。供養塔には広島全体でいろいろなところに埋められた骨を掘り出したものが入っています。その合計は7万に達していて、名が分かっているのに引き取られていない骨も多くあります。また、名が分からないものも数多くあり、78年たった今も迎えを待ち続けています。平和の時計は毎日8時15分に鐘が鳴り響き、あの時のことを思い出し、命の大切さ、平和の尊さについて考え続けられるようになっています。

◇平和記念資料館を訪れて
あの時の出来事を遡っている感じでとても苦しくなりました。いろいろな展示品の中で印象に残っているのは、被爆した自転車です。タイヤのゴムの部分などは溶けて消え、金属部分なども溶けたり、曲がったりしていてとても恐ろしいもので、想像を絶するものでした。今まで原爆と聞いて最初に思い浮ぶワードは「人の命」でしたが、原爆は人の命だけでなく、植物、動物、物、さらには思い出までも奪ってしまうとても危険なものだという新しい気付きがありました。他の展示品も8月6日月曜日のあの恐ろしさを物語っているのと同時に、二度とこの過ちが起きてはいけないという強い思いも伝わってきました。

◇広島研修を通して
いろんな視点が生まれ、たくさん考えさせられました。この経験を生かし、世界を変えることはできませんが、地域に発信することはできます。このレポートを読んだ地域の人たちの中で共感してくれる人がいたら、そこから周りへ発信され、広がっていきます。学んできた私たちには、その基盤になる義務があると思います。

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