■宮沢賢治「渥美」を詠む
「そらはれて くらげはうかび わが船の 渥美をさして うれひ行くかな」
これは、かの有名な宮沢賢治が詠んだ短歌です。宮沢賢治といえば、『雨ニモマケズ』や『注文の多い料理店』などの作品に代表される誰もが知っている詩人・童話作家です。そんな賢治が渥美をテーマに歌を詠んでいることをご存知でしたか?
この歌の背景は、書籍によれば、大正5(1916)年3月19日からの盛岡高等農林学校(現、岩手大学農学部)の関西方面への修学旅行の後、数名で伊勢参宮を計画したとあります。そして、3月28日に京都から伊勢へ向かい、伊勢参宮をした後に二見ヶ浦に泊まり、翌29日、鳥羽から汽船で蒲郡へ渡り、東海道線で東京方面に向かったと記されています。
冒頭の歌は、乗船中の汽船の上から詠まれたものです。残念ながら賢治たちが乗船した汽船は、渥美半島(福江港)に寄港する船ではなく、知多半島を経由する船であったらしく、この歌に続く歌は
「明滅(めいめつ)の 海のきらめき しろき夢 知多のみさきを 船はめぐりて」
「蒼溟(そうめい)の ひかりはとはに 明滅し ふねはまひるの 知多をはなるる」
となっています。後に発表された雑誌『校友会会報』第32号では、「渥美をさして」の部分が「知多半島を」に改編されており、賢治が歌を推敲(すいこう)したものと考えられます。しかしながら一度は賢治が渥美を詠み込んだ歌を詠んだことに間違いはありません。もしかしたらあの宮沢賢治が渥美の港へ寄港!?と考えると面白いと感じてしまうのは私だけでしょうか。
(学芸員 天野敏規)
〔参考文献〕『渥美半島と文学』渥美半島郷土研究会1997年
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