旧東海道御油宿から赤坂宿にかけ約560メートルにわたり立ち並ぶ御油のマツ並木。昭和19年に国の天然記念物に指定され、今年で80年となります。
今回の特集では、御油のマツ並木の歴史や保護事業などをお伝えするとともに、80年の節目に開催する記念事業を紹介します。
詳しいことは、生涯学習課へお問い合わせください。
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■御油のマツ並木の歴史
慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、江戸を起点とする街道の整備に着手しました。そのうちの一つ、江戸日本橋から京都三条大橋を結ぶ街道が東海道です。街道沿いには並木が植えられ、その目的は、旅人が夏の暑さや冬の冷たい北風をしのぐ他、道に迷わないようにするためなど諸説あります。杉や柳などが植えられた街道もありましたが、御油の街道沿いにはマツが植えられ、御油のマツ並木が誕生しました。
マツ並木は江戸時代、幕府に命じられ、御油宿や広石村(現在の御津町広石)、赤根村(現在の御津町赤根)により維持管理されていたことが、当時の資料からうかがえます。明治時代になり幕府による管理体制がなくなると、マツ並木は半ば放置される状態となったものの、地元住民による自発的な保護活動が行われるようになりました。
■国指定の天然記念物へ
昭和に入り、第二次世界大戦が激しくなると、造船用の材料や燃料が不足したため、街道のマツ並木をはじめ全国各地の巨木、神社や寺院の名だたる大木が伐採の対象となりました。市内では砥鹿神社の御神木や国府町内の松並木などが、国に差し出されたと当時の新聞記事に書かれています。
そうした中、昭和18年2月、文部省により、天然記念物としての価値が評価された木は、永久に保存される方針が取り決められました。これを受けて、御油の地元住民は守り続けてきたマツ並木を残そうと働きかけを行いました。その結果、昭和19年11月7日に天然記念物として指定を受け、御油のマツ並木は、保存されることになりました。
■人々の努力でこれからも
江戸時代に、約650本植えられていたとされるマツは、戦後を経て昭和39年には約170本にまで減少してしまいました。こうした中、昭和47年、御油町民で組織された「御油松並木愛護会」が結成。昭和50年には、愛護会を中心に大々的な植樹が行われ、約200本ものマツが植えられました。また、昭和58年には「日本の名松100選」に選ばれ、美しい景観が評価されています。
平成21年度以降は地元の御油小学校と協働してマツの植樹を実施し、令和4年度末時点では、約340本にまで増えました。
400年もの間、多くの人々の努力で守られてきた御油のマツ並木。天然記念物として指定され今年で80年となります。江戸時代の人たちも眺め長年愛されてきたマツ並木は、これからも私たちに癒やしを与え続けてくれることでしょう。
■こぼれ話
江戸時代後期、十返舎一九の作品である「東海道中膝栗毛」には、御油のマツ並木を背景とした狐騒動の様子が記されています。登場人物である弥次さんは、狐が、一緒に旅をしている喜多さんに化けていると思い、喜多さんを取り押さえてしまいます。このこっけいな話は、当時の人々に広く愛読され、日本全国で御油のマツ並木が知られることとなりました。
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