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文化財特集

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愛知県豊明市

■桶狭間の戦いをめぐる二つの城跡
豊明市内には戦国時代に存在した二つの城跡があります。一つは今年の大河ドラマの初回に登場した沓掛城跡です。ドラマでは、永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いに臨む今川勢の拠点として描かれていますが、戦いの模様を記した『信長公記』では「今川義元沓懸へ参陣」とあるので、沓掛城の他に主要交通路である鎌倉街道や沓掛宿など一帯に今川勢が宿営していたと考えられます。
その沓掛城跡では、一九八一〜八六年に主郭内部で発掘調査が行われています。調査では近藤氏が城主だった時期の池跡が確認され、それを埋め立てた土の中から「天文十七」と墨書された木簡(もっかん)や多数の土器・陶器類が出土しています。また池を埋め立てた後に、主郭周囲の堀や土塁が大規模な改修を受けていたこともわかりました。つまり天文十七年(一五四八)以降に、それまでの庭園(池)がある居館からより城砦化が進んだことになります。現在、市の指定文化財として保存されている遺跡は、今川勢進出期の状況を物語っています〔図1〕。
さらに、土器・陶器類からは沓掛城における日常の様子を垣間見ることができます。池跡SG02からは一五世紀後半〜一六世紀前半にかけての土器・陶器類が出土していますが、この中に口縁が外側に傾いた形の土師器内耳鍋(はじきないじなべ)があります〔図1の(1)〕。内耳鍋とは、口縁の内側に弦(つる)(鍋を吊り下げるための植物性の紐)を通す穴がある鍋の一種で、近年、戦国時代の尾張地域と西・東三河地域ではそれぞれ異なるタイプの内耳鍋が分布していることがわかってきました。鍋や釡のような生活必需品は身近なところで入手する傾向にあるので、流通圏もさほど広くないわけです。ところがこの内耳鍋は、沓掛城の所在する尾張地域でほとんどみられないタイプなのです。また、口縁近くに鍔(つば)がつく羽付鍋〔図1の(2)〕は、鍔の位置が低めでこれも西三河地域に多いタイプです。このことから、沓掛城で使われた土師器鍋は境川から東側の三河地域のものと共通し、日常的には西三河の経済圏に含まれていたことがわかります。
二つめの城跡は、沓掛城跡から南南西へ約kmの地点、現在は伊勢湾岸自動車道や国道23号の豊明インターチェンジとなっている大脇城遺跡です〔図2〕。この遺跡では一九九六〜二〇〇〇年に発掘調査が行われ、城の中心部とみられる一辺約33〜36mの方形区画の堀が確認されました。堀からは「天正四」年号のある知多・大御堂寺(美浜町)の柴燈護摩札(さいとうごまふだ)が出土しています〔図2の(3)〕。護摩札は「武運長久」とあるので城主に付与されたものです。大脇城の城主は梶川五左衛門文勝という武将で、城の名も「梶川五左衛門屋敷」と伝わっています。梶川五左衛門は刈谷や知多に勢力を広げた水野氏の重臣で、後に横根城(大府市)や成岩城(半田市)の城主となっています。これは一族の統合を図った水野信元の知多半島進出に合致し、大御堂寺の護摩札もその過程でもたらされたものと考えられます。
桶狭間の戦いは護摩札が付与される以前の出来事ですが、文献(ぶんけん)史料では、合戦時における水野氏(特に信元)の動向がはっきりしないことから、配下の大脇城(梶川五左衛門屋敷)もどのような態勢をとっていたのかは不明です。そこで発掘調査成果から、大脇城遺跡第1.期(一五世紀後葉〜一六世紀後葉)の状況を探ってみましょう。この時期には、先述の堀が方形に巡りその東辺の一部が途切れていることから、東側を流れる正戸川に向かって出入口になっていたと考えられます。ちなみに護摩札が出土したのはその南脇の堀の中です。一方で堀に伴う土塁や、堀の内外にどのような建物があったのかは削られていてあまりわかっていません。しかし井戸が14基以上確認されているので、区画の周辺にも屋敷地があったと推測されます。そしてそれらの北側で屈曲部のある全長86m以上の溝が東西方向に延びています。この溝は、断面がV字形をしていることから城や屋敷地を防御するための施設だったと思われます。
次に出土遺物をみると、ほとんどの土師器内耳鍋は「半球型(はんきゅうがた)」という尾張地域に多いタイプで〔図2の(2)〕、沓掛城のような西三河地域に多いタイプはみられません。また羽付鍋では口縁が内側に傾いたタイプのもの〔図2の(1)〕が多数を占めており、このことからも生活物資の入手先が尾張側に偏っていたことを示しています。これは主家の水野氏の動向を暗示しているようでもありますが、大脇城自体が正戸川に面した川湊のような立地であることも関係していると思われます。すなわちここから境川と衣浦湾を経由して海路で尾張地域の中心部との交流が盛んだった可能性が考えられます。
以上のように沓掛城と大脇城では、桶狭間の戦いにおける城主らの政治的立場までは明確にできませんが、物資調達の面で対照的だったことがわかります。なお、これらの出土遺物の一部は歴史民俗資料室で実物を見ることができます。

文化財保護委員 永井邦仁

問合せ:生涯学習課文化・スポーツ係
【電話】0562-92-8317

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