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とよあけ花マルシェコラム

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愛知県豊明市

「なきよわる籬能虫(まがきのむし)もとめが多起秋能別(たきあきのわかれ)や可なし(悲し)かるらむ」(『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』巻第七)は、初秋の頃、久しぶりに帰京してきた幼友達が、まだ冬にもなっていないのに、再び地方へ旅立ってしまうことを悲しんだ歌。寒露(かんろ)も近づき、とても過ごしやすくなりましたが、あまりてなどか人の恋しき季節ですね〜!「おやおや、今回の出だしはちょっと感傷気味でいらっしゃいますのね?」はい、この時季はどうも情緒不安定になりがちでして。「ところで、このお歌はどなたがお詠みになったものですの?」冒頭の歌は紫式部が詠んだものです。「お、久しぶりの登場だね?」ええ、でも紫式部ご本人の話についてはここまでで、以降はムラサキシキブという花のお話に替えさせていただきます。
ムラサキシキブは、シソ科ムラサキシキブ属に分類される落葉低木で、日本全国の山野で見られた自生種です。しかし、現在ではその数が大きく減少し、絶滅危惧種に指定されています。普段我々が目にするものの多くは、その園芸種や近縁種との交雑品種で、これらをすべて合わせてムラサキシキブと呼んでいることが多いです。
ムラサキシキブの観賞価値は、その花の可愛らしさもさることながら、やはりそれが実(み)になった姿にあります。6〜7月ごろに咲いた花は、その後結実し、10月初旬にはあでやかな紫色になります。実一つ一つは小さいものの、このような発色は独特で、生け花やフラワーアレンジによく利用されています。歴史への登場においても、狩野常信(かのうつねのぶ)筆の『草花魚貝虫類写生(そうかぎょかいちゅうるいしゃせい)』九月二巻之内に、ムラサキシキブの実(み)の着いた枝が描かれ「延宝(えんぽう)七年九月十六日むらさき志(し)きふ」と付記があることから、江戸時代前期には、すでにムラサキシキブの名で呼ばれ、この実(み)を観賞する習慣があったことが窺(うかが)われます。
「そうですか〜。ところでこの花と紫式部の御関係は?」いや〜!実は花のムラサキシキブと紫式部ご本人には接点がありません。実(み)が美しい紫色であるため、江戸時代以前の誰かが紫式部の名を頂戴し名付けたのだといわれています。
「へぇ〜。源氏物語の女性に、いろいろな花の名前を付けた紫式部だけど、数百年の後、ついにはご自分の名前がお花の名前になろうとは思っていなかったでしょうね!」ははっ、うまいこと言いますね〜。『源氏物語』は世界で最も知られている日本文学の一つですが、これは同時に平安期の重要な花文化資料でもあります。花の文化探求を通じて、紫式部とお近づきになれるなんて幸せなことです。そんな思いも感じながら、ムラサキシキブの枝を手に取って、ひとつ生けてみたいものですね。

執筆/愛知豊明花き流通協同組合理事長・永田晶彦

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