「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」は百人一首第三十六番、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌ですね。夏至も近づき、この6月は1年で最も夜明けの早い月、午前5時頃にはもう明るくなっているので、健康的に早起きして散歩に出かけてみたいものです。
さて、今月の中旬以降になると、散歩の途中で橙色の花が咲いているのを見かける機会が増えていきます。「うん、鮮明な鮮紅色の花、ザクロだったっけ?木は大きくないけど、花はすごく目立ってる!」そうそう、そのザクロです。春が過ぎ、夏が深まるにつれ、多くの花木の花が終わり、里山の林は緑一色に変わっていくのに対し、ザクロは鮮紅色の花を次々と咲かせていきます。中国宋代の詩人王安石(ワンアンシー)は、この情景を『咏石榴詩(ワンリューツォンジョンホンイーディエン)』の中で「万緑叢中紅一点(ワンリューツォンジョンホンイーディエン) 動人春色不須多(ドンレンチュスーブーシュードゥオ)」と詠んでいます。注目に値するものがあれば、人の心を動かすことに多くは必要ないということですね。「もしかして、男性の中に一人女性がいる〝紅一点〞って、ここから来てるの?」ピンポ〜ン大正解です!紅一点の〝紅〞はザクロのことだったんですね。
ザクロはミソハギ科ザクロ属の一種。その歴史は古く、エジプト神話では「戦場で殺戮(さつりく)を繰り返し、血を味わう神セクメトの暴走を止めるため、太陽神ラーが7000個の水差しにザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊(めいてい)して殺戮を止めた。」と登場する他、ギリシャ神話にも記されているようです。
日本には延長(えんちょう)元年頃刊の『本草和名(ほんぞうわみょう)』第十七巻菓(か)四十五種本草二十五食經(しょくけい)二十の章に「安石榴(あんせきりゅう)…(中略)…和名佐久呂(わみょうざくろ)」と登場することから、10世紀以前には日本へ渡って来ていたと考えられています。よって日本とのかかわりも古いのですが、ここで注目したいのは本草和名に記された分類です。第十七巻菓四十五種の〝菓〞は現代でいう〝フルーツ〞のこと。本草和名には、第十七巻より前の巻に花木や草花に分類される植物が記載されていますが、ザクロは花ではなくフルーツとなっています。現代ではザクロを食することはほとんどありませんが、昭和中期以前は、日本人の多くがこれを食べていました。決してマズくはありません。機会があれば、どうぞ挑戦してみてください。ただし、口から果汁をこぼすと、あたかも血を流しているように見えてしまうので注意してくださいね!
執筆/愛知豊明花き流通協同組合 理事長 永田 晶彦
<この記事についてアンケートにご協力ください。>