◆世界遺産としての価値
16世紀末から19世紀半ば世界の他の地域において採鉱などの機械化が進んだ時代に、高度な手工業による採掘と製錬技術を250年以上にわたり継続した、アジアにおける他に類を見ない貴重な文化遺産です。
世界文化遺産 「佐渡島の金山」についてはこちらから
※二次元コードは本紙参照
◆ジオパークの視点でみる佐渡島の金山 ~なぜ佐渡島で金や銀がとれるの?~
佐渡で見られる金や銀は、約2千万年前、大陸が割れ、その陥没地で起こった激しい火山活動によって作られました。大陸に生じた亀裂は広がり、金銀の鉱床はいったん海底に沈みましたが、その後の隆起運動によって金銀鉱床を含む佐渡島が海上に姿を現しました。
佐渡島のジオパークについてはこちらから
※二次元コードは本紙参照
◆佐渡島の金山の歴史と登録までの道のり
12世紀(平安時代) 『今昔物語集』に能登の人が佐渡で金を採取したと記録される(西三川砂金山)
15世紀(室町時代) 世阿弥が佐渡に流され、『金島書』を書く
1542年(天文11年) 鶴子銀山が発見される
1601年(慶長6年) 相川金銀山が本格的に開発される
1603年(慶長8年) 大久保長安が佐渡代官になる
1604年(慶長9年) 佐渡奉行所が建てられる
1621年(元和7年) 佐渡で小判の製造が始まる
1653年(承応2年) 京都から水学宗甫が来島し、水上輪の作り方を伝える
1696年(元禄9年) 南沢疎水道が完成する
1759年(宝暦9年) 佐渡奉行所に寄勝場が設置される
1869年(明治2年) 明治政府直営の佐渡鉱山になる
1872年(明治5年) 西三川砂金山が閉山する
1946年(昭和21年) 鶴子銀山が閉山する
1989年(平成元年) 佐渡鉱山が操業を休止する
1997年11月(平成9年) 市民団体による世界遺産登録に向けた運動を開始
2006年4月(平成18年) 新潟県と佐渡市が連携し、世界遺産登録に向けた取組みを開始
2010年6月(平成22年) 「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」の名称で、ユネスコ世界遺産暫定リストに記載
2015年3月(平成27年) 世界遺産推薦を目指し、国へ推薦書原案を提出(1度目の挑戦)
2016年3月(平成28年) 2度目の挑戦
2017年3月(平成29年) 3度目の挑戦
2018年3月(平成30年) 4度目の挑戦
2021年
3月(令和3年) 5度目の挑戦
12月 国の文化審議会において国内の推薦候補に選定
2022年1月(令和4年) 政府がユネスコ世界遺産へ推薦することを正式表明
2023年
1月(令和5年) 推薦書再提出
8月 イコモス現地調査
2024年
6月(令和6年) イコモスから「情報照会」の勧告がなされる
7月27日 ユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産登録が決定!
◆「佐渡島(さど)の金山」世界文化遺産登録を祝して
7月27日、インドで開催されたユネスコの世界遺産委員会において、「佐渡島の金山」が人類の貴重な遺産として認められ、世界文化遺産に登録されました。
これまで、「佐渡島の金山」の世界遺産登録を目指し、国や佐渡市、民間団体等の皆様とともに、全力で取り組んでまいりました。その取組が実を結び、「世界の宝」として認められたことを誇りに思うとともに、御支援、御協力いただいた全ての方々に深く感謝申し上げます。
県といたしましては、引き続き、国や佐渡市と連携して、資産の保存・活用にしっかりと取り組み、この素晴らしい遺産を未来に継承するという責務を果たすとともに、国内外の多くの方々から文化遺産としての価値を知っていただけるよう情報発信の強化に努めてまいります。
また、このたびの「佐渡島の金山」の世界遺産登録は、佐渡をはじめとする本県の魅力の認知度を向上させ、多くの観光客を呼び込み、本県の豊富な地域資源をアピールする絶好の機会と捉えております。登録の効果が全県に波及し持続するよう、市町村等関係者の皆様方と連携しながら、佐渡や県内各地の多様な魅力を積極的に発信し、年間を通じた県内周遊の促進やリピーターの獲得に取り組んでまいります。
新潟県知事 花角英世
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