このコーナーでは、良寛記念館に所蔵されている良寛に関する作品をご紹介します。
良寛遺墨漢詩五首の内『宅辺有苦竹「松柏列那比」』部分
■原文
(宅辺有苦竹冷々数千
干笋迸全遮路梢高斜拂
天経霜倍精神隔烟転幽
間宣在)
松柏列那比桃李妍竿直
節彌髙心虚根愈堅愛尓
貞清質千秋希勿移
■読み下し文
(宅辺(たくへん)に 苦竹(くちく)有(あ)り 冷冷(れいれい)として
数千竿(すうせんかん) 笋(たけのこ)は迸(ほとばし)って 全(すべ)て道(みち)
を遮(さえぎ)り 梢(こずえ)は高(たか)く 斜(なな)めに天(てん)を
払(はら)う 霜(しも)を経(へ)て 倍(ますま)す精神(しょうじん)する
烟(けむり)を隔(へだ)てて 転(うた)た幽間宜(ゆうかんよろ)しく)
松柏(しょうはく)の列(れつ)に在(あ)るべく 那(なん)ぞ
桃李(とうり)の妍(けん)に比(ひ)せん 竿直(かんなお)くし
て 節弥(ふしいよい)よ高(たか)く 心虚(しんうつろ)にして 根(ね)
愈(いよい)よ堅(かた)し 爾(なんじ)が 貞清(ていせい)の質(しつ)を 愛(あい)
す千秋(せんしゅう) 希(ねが)わくは移(うつ)る勿(なか)れ
■意訳
(私の庵の周辺には竹林がある。数千本あろうかと思われる竹たちは、みな涼しげに生えている。春には、筍が頭を突き出して道を塞ぎ、親竹は斜めに梢を高く伸ばして、まるで天を払っているようだ。冬はきびしい霜の下で生気をたくわえ、春にはかすみがかった静かで奥ゆかしい姿を現わすのである。)
竹は松や檜の仲間に加わるのがよく、桃や李のあでやかさと比べるものではないだろう。幹はまっすぐで節は高く、それでいて幹の中は何もなく、その根はますます堅い。
私は、そんな竹の清らかな性質を愛するのである。いつまでも、竹は竹らしく変わらぬことを願っているのである。
※原文、読み下し文、意訳の括弧で囲まれた箇所は、作品画像では未記載です
■解説
本来当詩は「宅辺有苦竹」ではじまる漢詩である。前半の「宅辺有苦竹」では、良寛が住む五合庵に群生する竹の様相が詠まれている。後半の「松柏列那比」では、竹の性質について詠んでいる。本紙に漢詩の前半部分が記されていないことについては、本紙の作品全体を貫く内容を考えてのことだと思われる。良寛は、先月号で紹介した漢詩「擔薪下翠岑」に於いてすでに、五合庵での生活の様相を詠んでいることから、同じく五合庵の様相を詠んでいる「宅辺有苦竹」は必要ないとして記さなかったのだろう。
それでは、良寛が当詩で伝えたいことは何であるのだろうか。良寛は「松柏列那比」で竹の性質を詠み終えた後に「希わくは遷る莫れ」と、その性質が変わらないことを願っている。そうした背景にあることは、良寛が竹を心の支えとし、その性質から学んでいるということである。
良寛が心の支えとし、また学んでいる竹の性質について、良寛研究家の谷川敏朗先生は、当詩の文言にそれぞれ意味があるとしている。「竿」は本来の性質、「直」は素直、「節」は節操、「高」は高潔、「心」は心掛、「虚」は虚心、こだわらない心、「根」は性根や根性、「堅」は堅実を表すなどである。良寛は、竹の持つそれらの性質を尊び、竹を見る度にそう成ることを願っていたのではないだろうか。
逸話にある、良寛が出雲崎の西照坊や五合庵の厠の下から生えてきた竹の子を切らずに育てた行為は、良寛の優しさや慈悲の心の現れと云われている。その新たな説として、良寛にとって竹は、修行、生活、心の支えであり、また学ばせてくれる存在である。だからこそ、良寛はそんな竹を切ることが、忍びなかったのかも知しれない。
良寛記念館 館長
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