平成16年10月23日午後5時56分、かつてない大災害が小千谷市を襲いました。この地震は尊い命を奪い、豊かな自然を破壊するなど市内全域に甚大な被害をもたらしました。市内では1万892棟の家屋に被害が発生し、当時の人口のおよそ7割にあたる2万9243人が避難生活を送りました。
震災直後から、市民は声を掛けて励まし合い、全国各地・世界中から温かい支援や励ましの言葉をいただきながら、復旧・復興を目指して歩んできました。そして、今年で震災から20年。当市は復興を果たし、市制施行70周年を節目に新たな未来への可能性を切り開くことに挑戦しています。
この震災を知らない世代が増えてきています。20年という節目を機に、改めて家庭・職場・町内などで当時の体験談について語り継ぐ場をつくり、震災の経験と教訓を伝えていきましょう。
■あの日の記憶インタビュー
◆シンガーソングライター ルゥ・ハルベさん
〇手紙に救われた避難生活
震災が発生したのは、外出から帰って来てすぐのことでした。経験したことがない大きな揺れが起き、家の土壁は崩れ、いたるところにひびが入りました。当日の夜は、家族と車で一夜を過ごしましたが、10~15分間隔で余震が起きるので眠れず、とても怖かったことをよく覚えています。
翌日には、県外にある親戚の家に避難しました。テレビで報道されている小千谷市を見て、知っている場所が全て壊れている状況にショックを受けました。避難生活中、「小千谷では大人も子どももみんなが助け合ってがんばっているのに、自分は安全なところにいて何もできないのが悔しい」と子どもながらに思っていたことが、今でも印象に残っています。幸いにも郵便の復旧は早く、友人との手紙のやり取りにとても救われていました。
〇震災への思いを歌に込めて
数年後の震災復興イベントに参加した時、被災者を歌で勇気づけるために全国を回っている人たちの存在に気づかされ、とても影響を受けました。歌を始めた時期も同じくらいだったので、なおさらだったのかもしれません。その後、私の体験や感じたことをもとに『手紙にのせて』という曲を作りました。毎年10月のライブで必ず歌い、聞いた人が震災を思い出すきっかけにしてほしいと思っています。
〇いつ起こるかわからない震災に備えて
小さなことかもしれませんが、父の教えで車のガソリンは常に半分以上入っているように心がけています。震災直後は、ガソリンスタンドが大混雑していて大変だったそうです。また、震災を知らないみなさんは、そなえ館の地震シミュレーターをぜひ体験してみてください。今後も震災から学んだことが誰かの助けになる機会があれば、どういう形になるかは分かりませんが、行動していきたいと思っています。
◆小千谷市消防本部 星野将人さん
〇奇跡的に助かった「あの日」
当時、私は中学3年生で塩谷地域に住んでおり、友人宅からの帰り道で母と車に乗っているときに地震が起きました。大きな揺れによって土砂崩れが発生し、道が前後とも塞がれて母と二人で孤立状態となってしまいました。タイミングが少しでもずれて、土砂崩れに巻き込まれていたら命はなかったかもしれません。数時間後、南荷頃地域の消防団が助けに来てくれて、その日の夜は南荷頃の避難所で過ごしました。あの時、周りは何もかもが崩れているのに、星や月はすごくきれいだったことに不気味さを感じた覚えがあります。
〇救命の仕事を目指したきっかけ
翌日、自衛隊の方と一緒に山道を通って、川口まで連れて行ってもらいました。母は病院の受診が必要な状態だったので、県外の救急隊の方に長岡市の病院まで搬送してもらいました。力強く頼もしい自衛隊や救急隊の姿を見て、自分も人の役に立って恩返しがしたいと思い、現在、消防本部警防課救急係に勤務しています。
また、塩谷では3人の児童が亡くなりました。命の大切さを改めて実感する出来事で、3人の分もがんばりたいと思ったことも救命の仕事を志したきっかけの一つです。
〇10月23日は震災を再び胸に刻む日
年月が経つと震災のことは少しずつ忘れてしまいますが、10月23日を節目の日として思い出すきっかけにしています。時間があれば塩谷の慰霊碑に手を合わせ、家族や塩谷の人と話す機会を作っています。
自然災害の多い今は、いつどこで自分が被災するか分かりません。ふだんの防災訓練や備蓄はもちろん、困っている人がいたら助けるという小千谷市民らしい「利他の精神」を忘れずにいることも大切だと考えています。私はまだ消防士として災害派遣に携わったことはありませんが、東日本大震災の被災地で活躍する先輩方の姿を見てきました。自分もいつか派遣先で活動する機会があれば、誰かの役に立てるよう精一杯がんばりたいです。
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