かつての亀田郷の様子や、亀田郷土地改良区の役割について、現理事長である阿部さんに伺いました。
新潟市は全国でも有数の米どころで、夏になると、緑の絨毯のような美しい田んぼの風景を見ることができます。
皆さんは、この一帯が、かつて「芦沼」「地図にない湖」と表現されるほどの泥田だったことをご存じでしょうか。
「亀田郷」と呼ばれるこの地域は、周囲の川より2メートルも低く、鳥屋野潟を中心としたすり鉢状の地形で、放っておけば川から水が流れ込んできます。
当時の農家の方々は、腰まで水に浸かり、大変な苦労を強いられながら田植えや稲刈りを行ってきましたが、昭和23年に「栗ノ木排水機場」が稼働したことで状況は一変しました。当時東洋一とうたわれた排水機場は郷内の水位を1.5m下げ、さながら新しい土地が浮上したかのようでした。
乾田化が進むにつれ、耕運機などの機械の導入や圃場整備が進み、米の生産量は飛躍的にアップしました。
若き日の佐野さんは、この光景を目の当たりにし、その後も数々の難題の解決に駆け回り、農業技術の確立に努めました。
亀田郷土地改良区は皆さんにあまり馴染みがないかもしれませんが、農業を行う上で欠かせない用排水施設、道路等の維持や農地の区画整理などの仕事を行っています。
こうした施設は、大雨からの浸水を防いだり、自然環境を守る役割を持ち、実は皆さんの生活の身近な存在なのです。佐野さんの意思を引継ぎ、これからも豊かな自然を守りながら農業を支えていきます。
-亀田郷土地改良区 理事長 阿部 徳威さん
佐野さんについて市報5月5日号でも紹介しています
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