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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(38)
虚無僧(こむそう)寺のお札
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

◇虚無僧寺は隠密寺
深編笠で顔を隠し、僧侶のように袈裟をかけるが、刀を腰に差した武士。袴をはかず着流しスタイルに、尺八。
時代劇ファンにはおなじみの虚無僧。TVで「鳴門秘帖」を観た人も多いでしょう。
旧南蒲原郡下田村(現三条市)には、普化(ふけ)宗の明暗(みょうあん)寺という虚無僧の寺がありました。地方の情勢調査や政治犯の捜査逮捕が任務の幕府隠密寺だったとのことです。
地方の役人からは独立した存在で、特権をかさに羽振りを利かせていたようです。

◇迷惑者の旅虚無僧
虚無僧は、町や村を旅して歩きます。中には、わがまま勝手なふるまいをする者もいたということです。
風に吹かれたようにふらりと現れては、村に居座って勝手放題、風紀を乱す者もいたのでしょう。
困った村々は、明暗寺と交渉して、村を立ち入り禁止地にしてもらいました。それを留場(とめば)といいます。
小見村を留場にしたことを保証する文書があります。
そこには、幕府の公用と寺の用以外は、一切、立ち寄ったり宿泊したりすることを禁止したので、留場料として村高(生産高)百石に付き銀二匁を明暗寺に納めるように、と書いてあります。

◇魔よけのお札
小見村は、留場料を払いました。結果、寺からは留場のお札が発行されました(写真/本紙参照)。
もし、虚無僧がやってきても、このお札を見せて、引き取ってもらったのでしょう。
言ってみれば、魔よけのお札みたいなものです。このお札に付属して、銭三百文の受取書もあります。
小見村の村高は百五十石弱、百石当り銀二匁だと、ちょうど銭三百文の計算になります。

◇みかじめ料モドキ
保証は一年契約。だから、毎年三百文払って、このお札の効果を維持したのでしょう。
少し勘繰ってみれば、明暗寺は配下の虚無僧にわざと迷惑行為をやらせて、留場料を払わざるを得ないように仕組んだのかもしれません。
何年か前に話題になった、みかじめ料に似ているような気がします。
「鳴門秘帖」の虚無僧・法月弦之丞(のりづきげんのじょう)は正義のヒーロー。それを思うと、現実はちょっとがっかりですね。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQR(本紙参照)から)

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