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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(40)
入会(いりあい)山は、村のセーフティネット
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

◇入会(いりあい)山の木で筏稼(いかだかせ)ぎ
前回に続いて、入会山の木を頼りにした話です。
嘉永(かえい)二(一八四九)年十二月、滝原・上野山・小見の小規模農家十二名が、三ヶ村の村役人に願い出ました。
「今年は米の値上がりで、生活を維持することが難しい。それで、来年春、三ヶ村用水の水源保護林の木を伐って、筏にして売りに出したい。」
前回の話は薪(まき)でしたが、今回は筏にして荒川の下流域へ搬出する計画です。材木用でしょうか、かなり大きな木を伐採するようです。
前回と同様、収益の二割を村へ提出する約束です。
三ヶ村は、その金で、干ばつ対策用の溜池(ためいけ)を二ヶ所造ることにしました。そのための工事人足を出すことも、伐採許可の条件になっています。

◇米の値上がり
米作農家にとって、米の値が上がるのは喜ばしいことのように思えます。しかし、そう単純ではないのです。
持ち田の少ない小規模農家は、年貢(ねんぐ)用と自家用とで必要な米が、いつも自分の持ち田で足りるとは限りません。不足分は買わなければなりません。それに、米価が上がれば、諸物価も連動して上がります。
米の値上がりは、喜ばしいことではなかったのです。
米の値が上がるのは、不作による米不足もありますが、大商人による買い占めも原因でした。この翌年には、米の買い占め禁止令が幕府から出されています。
幕末で、外国との貿易が始まり米の輸出も行われていて、何かと大変な時代でした。
村民の困窮(こんきゅう)時、入会山の木は、村のセーフティネットだったのです。

◇はんのき谷地の溜池(ためいけ)
ところで、二ヶ所の溜池の一つは、「はんのき谷地」と書いてあります。
この溜池は、享保(きょうほう)十二(一七二七)年に九代平太郎が上野中野の新田開発を行った際に築いたものです。(連載の十三回目・二〇二二年六月号に掲載)
それから一二二年も経っています。人工の工作物ですから、大雨の土砂流入や堤防破損などで役に立たなくなっていたのかもしれません。
はんのき谷地の溜池は、現代も水不足の際の大事な水源とされているそうです。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下の本紙QRから)

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