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正月小話

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■正月の目玉といえば
クリスマスにお正月と、年末・年始は子どもたちにとって楽しみの多い季節です。お正月の目玉はなんといってもお年玉。私自身、お年玉をもらう瞬間はとてもわくわくしていました。
今でこそお年玉には現金を渡すのが一般的ですが(現在は電子マネーで受け取っている方もいるかもしれませんね)、その慣習は昭和30年代以降の高度経済成長期から。一方で、お年玉の起源は中世まで遡るとされ、日本では古くから新年に物を贈る風習があったとされます。

・江戸時代の正月は、町人が丁稚を連れて親族や知人宅を回る。この際にお年玉として扇を贈っていたという

■正月は神様を迎える行事
お年玉の話をもう少し進める前に、正月とはそもそも何なのか、というお話を。
1年の始まりとして現在でも特別な意味を持っている正月。かつては、「五穀豊穣をもたらす『年神様』を家々にお迎えする行事」とされていました。旧暦(太陰暦)を採用していた当時の正月は立春のころ。新しい命が芽吹く時期でもあり、新しい年の命を人々に与える年神様を迎える正月の行事は重要な意味を持っていました。門前に飾られる門松は年神様が家に来る際の目印、しめ縄は年神様を迎える神聖な領域であることを示し、不浄なものが入らないようにする意味合いがあるのです。

・昔は、しめ縄かざりをつけた車もよく見かけた

■お年玉の語源は…餅!?
「お年玉」の語源は、「御歳魂(おとしだま)」から来ているとされています(諸説あります)。正月にお迎えした「年神様」は、依り代となる鏡餅に宿ると考えられていました。1月11日の鏡開きには、正月に供えた鏡餅を下げ、神仏に感謝の気持ちを示し、無病息災などを祈ってお雑煮やおしるこにして食べます。この、霊(年神様)が宿り、運んできた運気と力が降り立った鏡餅(御歳魂)を、家長が分け与えたことがお年玉の語源といわれています。

・区内では亀住稲荷神社(外神田5-4-7)が大年神を祀(まつ)っている

■鏡餅はなぜ丸いのか
鏡餅の歴史は古く、平安時代にさかのぼるといわれています。昔の鏡は青銅製の丸形で、神様が宿るものと信じられていました。鏡餅はその名のとおり、年神様の依り代として銅鏡を模したことから丸い形をしているといわれています。
また、鏡餅を構成する餅、橙、串柿はそれぞれ「八咫鏡(やたのかがみ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の三種の神器を表しているという説もあります。

・三種の神器…日本神話において天孫降臨の際に天照大神(あまてらすおおみかみ)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けた三種類の宝物。皇室の正統たる帝の証しとして皇位継承と同時に継承される

・平安時代中期の作品「源氏物語」にも鏡餅を示す「餅鏡(もちひかがみ)」の記述がある

■余談ではございますが
「新春」という言葉を聞いて、「いやいや真冬だよ」と思ったことはありませんか。
日本が古来採用していた太陰暦は、「月の満ち欠け」をもとにした暦です。月の満ち欠けの周期は29.5日。そこで、ひと月が29日の小の月と30日の大の月を作りました。しかし、これでも1年で11日ずつずれていきます。そのため、3年に一度うるう月を置き、1年を13か月として帳尻を合わせていたものの、農業が根幹の産業だった時代、徐々に季節がずれていく誤差は許容できないものでした。
そこで、太陰暦と別に二十四節気(にじゅうしせっき)という太陽暦を併用していました(そもそもこれだけにすればいいのでは…)。これは、季節が一巡する365日を二十四等分して、名前を付けたものです。そして二十四節気のひとつである「立春」が太陰暦の正月近くに当たります。今でも正月に「新春」というのはこの名残なのだそうです。

区政の繁栄と、皆さんの一年が実り豊かなものになることをお祈り申し上げます。

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