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【特集】お茶の水~音に包まれるまち~(1)

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多くの大学が集まるお茶の水。JR御茶ノ水駅から下る坂道には多くの学生が集います。そんな道に連なるのは多様な楽器店。いずれも独自性のあるラインナップで、このまちに来れば全ての楽器がそろうのではないかと思えるほど。江戸時代には武家屋敷が集まっていたこの地に、なぜ楽器店が集まっているのか。国内最大級の学生街が生み出した世界屈指の楽器店街の魅力に迫ります。

■元は地続き お茶の谷「茗渓(めいけい)」
お茶の水は神田川を挟み、本郷台と駿河台に分かれていますが、かつては「神田山」としてひと続きになっていました。さかのぼること400年。1590(天正18)年に徳川家康が駿府から江戸入りをしたころは、日比谷公園から新橋付近周辺まで「日比谷入江」と呼ばれる浅瀬の海が広がっていました。家康は、湿地帯が多く、当時未開の地であった江戸に平坦な宅地を広げるため、日比谷入江や湿地帯を埋め立てました。そのために神田山を切り崩し、その土砂を使ったといいます。しかし、この埋め立てにより、それまで海に流れ込んでいた川の流れが滞り、下流で洪水が頻発するようになりました。
家康の没後、二代将軍徳川秀忠は治水対策のため、神田川の原型となる平川に、小石川、石神井川などの3つの河川をまとめて接続し、隅田川へ放水するという大規模な河川の付け替えを行いました。その際に神田山を分断し、掘削する工事を行ったことで、現在のような渓谷風の地形となり「茗渓」とも称されました。
これは、三代将軍徳川家光のころ、清に追われて日本に亡命した明の遺臣、朱舜水(しゅしゅんすい)が故郷の景色を懐かしみ「小赤壁(しょうせきへき)、茗渓」と呼んだことが由来とされています。現在も御茶ノ水駅前の「茗渓通り」にその名を残しています。

■学生の街 神田
お茶の水の楽器店街、神保町の古書店街、小川町のスポーツ店街など、特色ある専門店街の成り立ちとこの地が大規模な学生街であることは深い関連があると考えられています。
江戸時代のこの地は、多くの旗本などの武家屋敷が建ち並んでいましたが、江戸時代の終わりとともに、新たなまちが形成されます。1880年代になると、後に総合大学となる私立法律学校が多数設置されます。五大法律学校(※)と言われる東京法学校(現法政大学)、明治法律学校(現明治大学)、専修学校(現専修大学)、東京専門学校(現早稲田大学)、英吉利(イギリス)法律学校(現中央大学)、そしてのちに専修学校に代わって入る日本法律学校(現日本大学)の多くは神田に設置されていました。
神田に多くの学校が集まってきた理由は明らかではありませんが、前述のとおり、武家屋敷の住人たちが引き払った後に比較的広大な土地があったことも要因のひとつではないかと考えられます。そして、多くの学校が集中したことで、まちは学生で賑わうこととなります。

(※)五大法律学校
1886(明治19)年に私立法律学校特別監督条規により帝国大学(現東京大学)総長の監督下に入り、1888(明治21)年に特別認可学校規則により文部大臣の直接管轄下に入った私立法律学校。優等学生は無試験で司法官僚に登用するなど当時不足していた下級官吏の人材を確保しつつ、反政府的自立志向を見せる私立法律学校をコントロールする狙いがあったとされる。

■楽器店街の興り
学生街であった神田界隈には、学生をターゲットにした古書店をはじめとする古物店が多く営まれていました。ふところに余裕のない学生にとって古物店は大変重要なものでした。古物店は時を経て、古書店、スポーツ店、楽器店などの専門店へと形を変え、やがてそれぞれのまちに集積していったことが世界に名だたる専門店街誕生の一因ではないかと考えられます。
では、お茶の水の楽器店はどのように誕生したのでしょうか。お茶の水で創業し、その後楽器をメインに取り扱うようになった店、別の地で創業し、お茶の水に移転してきた店。いずれもその歴史は古く、創業は1930年代にさかのぼります。
下倉楽器や石橋楽器はお茶の水で創業しました。戦後、進駐軍が大量の楽器を売り払うと楽器が安価に手に入るようになります。これをきっかけに徐々に楽器を専門に取り扱うようになったといいます。
一方、谷口楽器は1935(昭和10)年に浅草の鳥越でアコーディオン・ハーモニカ専門店として創業しました。その後、資金を貯めて創業時からの念願であった学生の街お茶の水に本店を構えました。
いずれも、お茶の水の学生需要に商機を見出し、成功したことでこの地に楽器店として根付いたといえるのではないでしょうか。お茶の水はその後、楽器店街として大きく成長していきます。

■お茶の水楽器店街の現在(いま)
1960年代のエレキブーム、その後のフォークブームを経て、90年代のヴィジュアル系バンドの一大ブームで楽器店は一気に増加しました。こうした中でお茶の水ブランドが徐々に確立したとされています。多くの楽器店がひしめき合う中、各店舗は独自性を磨くことで共栄していきます。
2000年代以降も「けいおん!」や「ぼっち・ざ・ろっく!」などのアニメなどの影響でしばしば楽器店がにぎわうこともあり、作中のキャラクターが使用しているモデルなどが人気となりました。一時Fender Japan JB62ーLHという左利き用ベースが驚くほど売れたことが話題に上がったこともあります。
そんなお茶の水では音楽関連企業が「音楽の感動をお茶の水から発信する」ことを趣旨に「ちよだ音楽連合会」を発足。始まりは明治大学出身の宇崎竜童さんの「お茶の水のまち全体を音楽で満たしたい」という想いでした。
現在は、一部加盟店がお茶の水メタバース楽器店街としてメタバース(三次元の仮想空間)に出店するなど、新たな展開も見せています。時代の流れとともに少しずつまちは変わり、私たちの生活様式も変化しています。それでも音楽でつながる輪はこれからも続いていくのではないでしょうか。

■TOPIC
◇お茶の水の由来
元来は神田川北岸の湯島の西側を指し、高林寺の井戸水が良質で将軍家にお茶用の水として献上されたことが由来になっているとされています。高林寺は1596(文禄5・慶長元)年に神田に創建され、のちにお茶の水に移転。明暦の大火後に現在地(文京区向丘)に移転したといわれています。

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