■気になっていた身近な偉人はいませんか
公園や建物の近くなど、私たちの身近な場所に多くの銅像が立っています。
今号では、奈良時代の貴族をはじめ戦後の首相など銅像となった11の偉人をご紹介します。
◆制作年1893
◇大村益次郎(おおむらますじろう)
Omura Masujiro
所在地:九段北3-1-1
制作者:大熊氏広(おおくまうじひろ)氏
[人物像]
周防(現在の山口県)に医師の子として生まれた。1856年に藩主・伊達宗城(だてむねなり)の参勤とともに江戸に上り、現在の三番町二番地に私塾「鳩居堂(きゅうきょどう)」を開いた。近代陸軍の創始者で、「日本陸軍の父」とも呼ばれる
[区との関わり]
戊辰戦争などの戦死者を祀(まつ)る招魂社の建立(靖国神社の前身)に尽力し、自ら候補地であった九段の現地視察を行った
[TOPICS]
・本殿に背を向け、江戸の鬼門(艮(うしとら)の方位…北東)にある上野公園を向いて立つ。彰義隊(しょうぎたい)との戦いで、江戸城本丸で指揮した姿を模している
・日本最初の西洋式銅像
・東京の三大銅像の一つ
・納涼民踊の集いでは、銅像の台座を囲んで盆踊りが繰り広げられる
・台座を含め地上約12mと高さのある像
◆制作年1900
◇楠木正成(くすのきまさしげ)
Kusunoki Masashige
所在地:皇居外苑1-1
制作者:
・造形主任…高村光雲(たかむらこううん)氏(顔・甲)
山田鬼斎(やまだきさい)氏・石川光明(いしかわこうめい)氏(胴体)、
後藤貞行(ごとうさだゆき)氏(馬)、
・鋳造主任…岡崎雪声(おかざきせっせい)氏
[人物像]
後醍醐(ごだいご)天皇(1288年~1339年)の呼びかけに応じ、鎌倉幕府倒幕の象徴として活躍した武将
[TOPICS]
・皇居に背を向けないように、顔は皇居方面を向き、後ろ姿が銅像の正面という設計。行幸(ぎょうこう)先から帰る途中の後醍醐天皇を迎えた勇姿を象(かたど)る
・愛媛県新居浜市にある別子銅山(べっしどうざん)の銅を使用し、別子銅山200年記念事業として宮内庁に献納
・東京の三大銅像の一つ
・原型製作に約3年、完成までに10年の月日をかけてつくられた
・和気清麻呂(わけのきよまろ)像と文武の二忠臣を象徴
◆制作年1903
◇北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)
Kitashirakawamiya Yoshihisashinno
所在地:北の丸公園1-1
制作者:新海竹太郎(しんかいたけたろう)氏
[人物像]
1847年、伏見宮邦家親王(ふしみのみやくにいえしんのう)の第九皇子として生まれる。幕末・明治の皇族で、陸軍軍人。近衛師団を率いて台湾に出征したが疫病にかかり、台南にて49歳の若さで薨去(こうきょ)された
[区との関わり]
紀尾井町に邸宅があった
[TOPICS]
・今にも馬が動き出しそうな躍動感がある
・近衛歩兵第一・第二聯(れん)隊正門前に建立された後、1963年北の丸公園整備計画に従い、移設
・戦地で落命した最初の皇族
◆制作年1907
◇品川弥次郎(しながわやじろう)
Shinagawa Yajiro
所在地:九段南2-2-18 九段坂公園内
制作者:本山白雲(もとやまはくうん)氏
[人物像]
1843年生まれ、長州藩出身。吉田松陰の松下村塾で学んだのち、薩長同盟成立や戊辰戦争で活躍。第一次松方内閣の内務大臣だったが、松方の命で強力な選挙干渉を行い、引責辞任
[区との関わり]
九段北に存在した練兵館で剣術を学んだ
[TOPICS]
・関東大震災で倒壊して首と足が折れたが、制作者の本山白雲氏が自費で修復
・九段坂公園は春に桜が見頃
◆制作年1919
◇大山巌(おおやまいわお)
Oyama Iwao
所在地:九段南2-2-18 九段坂公園内
制作者:新海竹太郎(しんかいたけたろう)氏
[人物像]
1842年に薩摩藩士の子として生まれる。参謀総長、内務大臣を歴任し、日露戦争では満洲軍総司令官を務め、同郷の東郷平八郎(とうごうへいはちろう)と並んで「陸の大山、海の東郷」と呼ばれた
[TOPICS]
・日露戦争で満洲軍総司令官を務めた陸軍大将・大山巌が奉天入城時に日本軍を閲兵したときの姿とされる
・参謀本部構内(現在の国会前庭)に立てられたが、戦後撤去され、上野の旧東京都美術館脇に像のみ移転、放置されていた。現在の位置には、もともと陸軍大将川上操六(かわかみそうろく)の像があったが撤去されて台座のみ残っており、1965年にその場所に再建された
・近代の軍人像として、皇族のものを除いては数少ない乗馬像の一つ
■東京の三大銅像
・大村益次郎
・楠木正成
・西郷隆盛
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