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自治体の皆さまへ

【特集】災害、そのときに(1)

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令和6年1月1日16時10分、石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生しました。
新たな年に希望を持ちながら、それぞれが思い思いのときを過ごす中で起きたこの地震は、震源地のみならず全国を震撼させ、改めて私たちは「災害はいつ起こるかわからない」ことを思い知らされました。
都内で最大規模の被害が想定される都心南部を震源とする首都直下地震では、震度6強以上の範囲は区部の約6割に広がり、建物被害は19万4431棟(うち火災要因11万8734棟)、死者は6148人に上るとされています。
いつ起こるかわからない災害に、私たちはどのように対処すればよいのでしょうか。そして災害が起きたとき、どのような支援が受けられるのでしょうか。

■被災地派遣で見えたもの
区は、大規模災害に見舞われた被災地を支援するため、職員を派遣してきました。例えば、平成23年の東日本大震災の被災地である岩手県大槌町にはこれまで35人の職員を派遣し、その復興に携わっています。
今回の能登半島地震では、被害の大きい輪島市に5人の職員を派遣しました。被災後の痛ましい惨状から復興が進み始めるまで、被災地復興に力を尽くした職員に実情を聞きました。

◇発災時のまま取り残されている場所も
被災地を目の当たりにして、「テレビで見ることとは比べ物にならないほど悲惨だ」と感じました。
最初の派遣職員が現地に赴いたのは発災から57日ほどたってからで、倒壊した建物、火災で跡形もなくなった地域、道路の液状化などを目の当たりにし、それらが発災当時のまま取り残されているということに衝撃を受けました。凄惨な被害状況の中で、すべてを同時に元に戻すことはできません。住民のためのインフラを優先に復興を進めていくことが求められます。
5月ごろには道路や港湾、水道施設などのインフラの復旧が本格化していました。まだまだ日常生活や観光業などは壊滅的な状態でしたが、それでも多くの住民が前向きに、穏やかな日常を取り戻そうとしていました。

◇公助ですべてをまかなうことはできない
発災時に「公助(市役所や消防・警察などの公的支援)ですべてをまかなうことはできない」といわれています。輪島市の職員は、自身も被災者でありながらも、住民のため、平日か休日かを問わず勤務を続けており、いつ倒れる人が出てもおかしくない状態でした。それだけ全力を尽くしても復興は道半ば。公助の力だけで被災を乗り越えていくのは限界があります。非常時の対応をどのように行っていくか、ひとりひとりが災害事例から学んでいかなければなりません。
輪島市では、過酷な状況の中、市民や市の職員、派遣職員がお互いに協力し合って少しずつまちの復興が進んでいました。やはり「日頃の備え」と「立場を超えてそれぞれが助け合うこと」が何より大事だと感じました。
私たちは被災地派遣経験者としてこの経験を生かし、区の防災事業に取り組んでいきます。

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