※町制施行50周年を記念して、町の歴史・文化をシリーズで掲載しています。
日の出町には、三多摩地域400万人のごみを受け入れる施設があるのをご存じでしょうか。
町の歴史・文化を紹介するシリーズ5回目は、日の出町の歴史を振り返ったときに欠かすことの出来ない大きな出来事である「三多摩地域住民のごみ処分場受入」について掲載します。
■処分場受入の経過
昭和30年から40年代にかけて、三多摩地域は高度成長による都市化や人口の急増に伴いごみの量が増大し、ごみの最終処分場の確保が重要課題となっていました。
多摩地域の27市町(現・26市町)※は、ごみの問題を解決するため、昭和55年に一般廃棄物最終処分場の設置・管理を目的とした「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合(現・東京たま広域資源循環組合)」を共同で設立しました。
日の出町においても、昭和40年~50年代にかけて住宅団地の造成などにより人口が急増したことから、昭和49年6月1日に町制を施行しました。以後、行政課題や多様な住民ニーズへの対応など、新たなまちづくりを進めるため、平井山林を中心とした地域に、町民のやすらぎと憩いの場となる「スポーツと文化の森」を設置する構想を昭和54年に発表し、その実現に向けて歩み出した時期でした。
この状況下で、「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合」から、日の出町の「スポーツと文化の森」実現に協力することなどを条件に、廃棄物広域処分場建設の申入れがありました。
処分場建設候補地となった地域で暮らす第3自治会の皆さまは、この申入れに対して、日の出町の厳しい財政状況やごみの処分に苦慮している三多摩地域の実情を踏まえ、町の振興発展に寄与するという長期的視点に立ったまちづくりを願う思いと、同じ三多摩地域の住民として困ったときは助け合うという広域的な見地から、多くのご不安を抱えながらも処分場を受け入れる決断をしていただきました。
※あきる野市、日の出町、奥多摩町及び檜原村は組織団体に入っていません。
■処分場受入後の町の発展
その後、公害防止協定等の諸手続きを経て昭和57年に谷戸沢処分場建設工事が始まり、昭和59年に埋立てが開始されました。町は処分場受入による地域振興費等を活用し、義務教育施設や生活道路、下水道等のインフラ整備を進めたことで大きく発展しました。
さらに、三吉野工業団地の整備や、町を代表する観光保養施設であるつるつる温泉センターの建設、圏央道日の出インターチェンジの開通に続いてイオンモール日の出がオープンするなど、活気あふれるまちへと変化を遂げました。
この間、2つ目の処分場受入の際には第22自治会の皆さまのご理解とご協力により、「二ツ塚処分場」が新たに建設され、続いて二ツ塚処分場内にエコセメント化施設が整備され、これまで埋め立てていた焼却灰をセメントの原料として再利用できるようになりました。
■現在(処分場の延命と自然環境の再生)
処分場の開設から40年が経ち、現在は焼却灰の再利用を行うエコセメント化施設が稼働していることや、焼却灰を搬入している市・町のリサイクルの取組により、二ツ塚処分場の埋立期間は大幅に延長されており、今もごみの最終処理・処分を行う場としての役割を担っています。
平成10年に埋立が終了した1つ目の処分場(谷戸沢処分場)では、地元自治会や監視委員の皆さまのご協力や循環組合による自然回復の取組により多様な動植物による豊かな生態系が形成されているほか、多摩地区の住民が利用できるサッカー場やグラウンドが整備され、活用されています。
■これから(適正な管理・跡地利用)
ごみの埋立地が無害安定化するまでには、長い年月がかかります。引き続き地元自治会の皆さまにご協力をいただきながら、処分場が適正に管理されるよう監視活動を続けていきます。
跡地利用についても、埋め立ての状況を勘案しながら検討を進めていきます。
◆三多摩は一つなり交流事業に参加してみませんか?
三多摩は一つなり交流事業は、三多摩地域のごみを受け入れている日の出町と、東京たま広域資源循環組合を組織する市や町の住民が、文化・スポーツなどの事業を通じて交流し、相互理解を深めることを目的に実施しています。
サッカーの交流試合や、魅力的な伝統芸能に触れる体験、レジャー施設の訪問などのほか、訪問先のまちで収集されたごみ・資源物の中間処理を行う施設見学ができる事業もあり、ごみ処理の現状について知ることができる機会にもなっています。
今月は、三鷹市との交流事業を募集しています! 詳しくは本紙16ページをご覧ください。
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