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「誰か」のことじゃない。12月4~10日は「人権週間」です(2)

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■猿まわし芸~差別を超えた共生の未来へ~
猿まわし 村﨑太郎さん
「反省猿」の次郎とコンビを組み、一躍お茶の間の人気者となった村﨑太郎さんは、著書の中で被差別部落出身であることを公表しています。
伝統芸能である「猿まわし芸」を受け継いだ経緯や思いについて、寄稿していただきました。

□猿まわし芸との出会い
日本社会の歴史的過程で形づくられた身分制度等に起因する差別が、さまざまな形で現れている日本固有の人権問題です。現在もなお、被差別部落(同和地区)出身という理由で差別を受けている人々がいます。部落差別を解消するために、一人一人が部落差別への理解を深め、差別について知るとともに、差別をすること、させることのないよう行動することが大切です。私が高校3年生の時、進学を控えた私に突然声がかかった。それは日本から絶滅してしまった猿まわし芸を復活させること、そしてその後継者になることであった。日本で千年続いてきた猿まわし芸は、高度経済成長期に完全にその伝統が途絶えた。それをなんと私が継承しろと言う無謀なお誘いに戸惑うどころかこの壮大な試みにパッションさえ感じていた。ニホンザルは人間と同様に、思考にも感情にも溢れた動物なので、向き合うとなると結構厄介である。効率だけを考えるならば、この選択はしない。では、なぜ私がそんな選択をしたのかと言うと、猿まわしの中にある、壮大なる地球と人間と動物たちの共生の世界があると考えたからである。もっと平たく言えば、猿と人間が芸を通して重なり合い、その中で生まれてくる葛藤や喜びを通して、熱と光のある人生が想像できたからである。これは、私の出自にも関係があったのかもしれない。猿まわし芸は、被差別部落の人々が受け継いできた伝統芸能なのである。ともあれ私の想像は、猿との初顔合わせで体感することとなった。猿が私に飛びかかってきて、あっという間に私は指を噛まれたのである。痛っ!指が切れるかと思うくらいの激痛。それは、リアルが薄れていくこの時代に、強烈なリアルとして生きている実感として私に向かってきたのである。その頃私は、これからの人生どうなるのか少し不安な心境であった。しかしそんなことを考える暇もないほどのリアル、私を現実に引き戻す衝撃であった。これで、私は完全に猿まわしの魅力に取りつかれたわけである。効率や採算など度外視の猿まわしの世界を選んでしまったのである。

□猿まわしの道と信念
こうして始まった私の猿まわし人生は45年ほど経ってしまったわけだが、たわいもない芸ゆえに、表面的にしか見られず残念な評価しかいただけないことも多い。しかし、皆さんの前に立つためには、多くの能力がなければならないということを説明したい。まず、求めていることを猿に的確に伝える能力、猿の芸を生かすための芸人能力、演出能力、作家能力、プロデュース能力、そして経営能力などである。今風に言えば何刀流もこなさなければならないのである。そんな私たちの努力とは裏腹に猿に芸をさせる=虐待ではないかと批判する人たちが増えてきた。私たちにとってどんな苦労より辛いことである。猿たちと磨いた芸を見ていただく中で、笑いや感動を届けたいと頑張ってきたのに、虐待とのステレオタイプの偏見の前に反論できない悔しさと戦いながら、お客様の前に立たなければならないのである。
ここで、少しでも皆さんのご理解をいただくため、猿たちと私たちの関係性について書いていきたいと思う。現在日本では、年間2万頭近いニホンザルが捕獲され、殺処分されている。そして、そんな中からわずかではあるが私たちが保護し、芸を磨き、皆さんの前に立っている。もちろんトレーニングの方法論については、動物福祉の上に立った検討がなされなければならないことは当たり前である。そこで、私たちは、猿まわし協会などを設立し、トレーニングを過度にやりすぎていないかなど、第三者の目線を常に置き、日々検討している。私は常に、猿と人間は平等であると考え、後進に教えている。決して奢らず、「人間の方が上だ」などと思わないこと。これが私の猿まわし芸の根本姿勢である。

□伝統芸能を通じた社会への思い
私は以前取材を受けた時に、猿まわし芸が被差別部落の人々の伝統芸能であったこと、そして私自身が被差別部落の出身であることを公表したことを話した。私は、「部落の誇る文化を復活させよう」と父が尽力した思いに応えて復活第一号の猿まわし師になった。幸い、現在は昔のような厳しい差別があるわけではない。だとしたら、本当はもっと普通に出自について話せてもいいはず。みんな知っているのに誰も触れたがらない。差別が陰で身を潜めている。そんな社会の行く末の心配を少しでも猿まわしを通して伝えられればと思う。

□猿との絆、共生の未来へ
最後に、猿は私たちの家族であるということをお伝えしたい。私の実体験だが、実の父や母が亡くなった時、当然悲しみはあったが、長く悲しみが続くことはなかった。これが相方であった猿の次郎が亡くなった時は、いなくなった寂しさが何年も続き、どうしようもなくなる自分がいたのである。また、後進の弟子と数年前に亡くなった猿の話をした時、人目も憚(はばか)らず涙を流す姿を見て猿との絆を強く感じた。動物と人間の間にこれだけの絆を築くことができるのである。人間と人間なら当然できるであろう絆を大切にして欲しいと思う。これからも、そんな関係性が届けられる芸を磨いて行きたいと思う。またいつかどこかで会える日を楽しみに。

●部落差別(同和問題)とは
日本社会の歴史的過程で形づくられた身分制度等に起因する差別が、さまざまな形で現れている日本固有の人権問題です。現在もなお、被差別部落(同和地区)出身という理由で差別を受けている人々がいます。部落差別を解消するために、一人一人が部落差別への理解を深め、差別について知るとともに、差別をすること、させることのないよう行動することが大切です。

●プロフィール
山口県光市出身。1978年17歳で初代次郎とコンビを組み、日本に途絶えた猿まわしを復活させる。フジテレビ「笑っていいとも!」出演をきっかけに次郎の反省ポーズが社会現象になり、「反省だけなら猿でも出来る」が流行語になる。
アメリカ、中国でも公演を成功させ、動物芸としては初めて「文化庁芸術祭賞」を受賞する。
自身が運営するおさるランドandアニタウンで今なお現役でステージに立つ傍ら、執筆活動の他、後進の育成にも力を入れ、伝統芸能の継承にも取り組んでいる。

問い合わせ:総務課人権・男女平等参画係
【電話】3578-2027

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