◆昭和36年度「狛江第一小学校PTAだより」より
昭和36年度は東京オリンピックの3年前。狛江第一小学校PTAは、常に子どものため、社会のためを念頭に活躍していた。
昭和36年度の「狛江第一小学校PTAだより」によると空襲で焼失した狛江第一小学校はまだ復旧していなかったので校舎改築運動を行い、老朽校舎の早期改築を促進しようと、学校側とPTA促進委員会による再三の協議の結果、町長、議長、教育長等と第1回の交渉を行い、請願書の提出を行った。その結果、予算の面で37年度にはできないという回答だった。
次いで教育長や町長宅への戸別訪問、教育委員や文教委員宅への戸別訪問を連夜行ったが進展はなく、一方で第二小学校の増築が始まろうとしていた。
建物の検査にも細かい規則があり、現状の老朽程度では補助の対象にならなかったが、台風で倒れたり、児童が怪我をしてからでは遅くなってしまう。
改築工事について、37年度後期からでも工事計画に着手してもらえるようにと、会員の方たちに今後の町当局との交渉に向けた支援をお願いしている。
また、狛江駅には南側にしか改札口がなかった。学校を目の前に踏切で遮られてしまい、開くのを待っている中で朝礼の合図を聞く子どもたちもいた。そのころたくさんあった工場などに勤める人も、始業時間を気にしながら待っていた。そこで立ち上がったのがPTAのお母さん方である。踏切事故のつらい経験を知っているお母さん方は12月13日から3日間「北口設置運動に協力してください」と、各委員会の交代制で署名運動を実施。差し入れられた石油コンロでかじかむ手を温め、声をからしながら午後8時過ぎまで行い、署名簿はうずたかく積み上げられて9701名になった。
署名簿を持って小田急本社に足を運んだが、当初は「人件費、施設費の関係で困難である」という回答しか得られなかった。しかし、その後も役員と学校側代表が何度も交渉に行くことで、改札設置に貢献した。
校外委員会は児童の安全を図り陰の学校の支えになる。廃品回収では回収の連絡や集金の苦労はあるが、そのおかげでテレビを3台納入。2回目の益金も1万3954円になった。空瓶、ぼろ布などのわずかなお金でも児童の学習に役立てられる。PTAは子どもたちのため、社会のために頑張った。
また生活が有意義になるよう、自分たちの勉強も活動の一環として行っている。狛江町の教育委員と家庭裁判所の調停委員であった大内綾子さんを講師として招き、「社会情勢とお母さん」という題で講演会を開催。経済、文化の諸様相から生じる青少年問題を母親としてどう捉えるかということを学んだ。
井上 孝(元狛江市文化財専門委員)
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