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新・下野市風土記

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栃木県下野市

■知られていない下毛野(しもつけの)・下野(しもつけ)の特性 しもつけ風土記の丘資料館
「東の飛鳥(あすか)下野市」のキャッチコピーと「青い龍のデザイン」で、本市の良さを知っていただきたい、との広報戦略が本格的に始まって半年が経過しました。資料館の来訪者からも「東の飛鳥って語呂(ごろ)がいいけど、どうして東の飛鳥なの?」と時折、ご質問をいただきます。

◆「東の飛鳥」のキャッチコピーが生まれた背景
本市の名称がまだ決まっていない時の話です。県内外で新たな自治体名が次々と発表される中、ご高名な歴史研究者から「市の名前は漢字の下野市にするよう、合併協議会に伝えるように」とお電話をいただきました。先生は「ひらがな・カタカナの名前では下毛野・下野の歴史的特性が失われるから絶対にダメです」ともおっしゃっていました。このご指摘で漢字表記の下野市になったかはわかりませんが、当時、合併に携わった方々のご苦労は今では考えられないようなことだったと推測されます。平成の大合併で本市が誕生して間もない頃、当時の市長たちが出席した全国規模の会議などで本市の名称「下野市」は正しく読まれず、「どこにある市ですか」などと質問を受けることが多かったため、何とか知名度を上げられないかと苦慮していました。そのため、時折、「下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)や下野国分寺跡(しもつけこくぶんじあと)が所在する歴史ある自治体で、それが鍵となって決まった名前なのだから、文化財担当から何か知名度を上げるためのいいアイデアはないのか?」とご意見もいただいていました。

◆下毛野・下野の特性
甲塚(かぶとづか)古墳から出土した埴輪などの重要文化財への指定や歴史文化基本構想、歴史的風致維持向上計画の策定など、改めて本市の歴史的特性を再確認する作業が続いた中、「どうして本市周辺には古墳時代後期(6世紀後半頃)以降の古墳がこんなに多くあるのだろう?ほかの地域は古墳を造ることができたがその後の律令国家体制をスムーズに受け入れたのだろうか?なぜ下野薬師寺をここに建立したのだろう?遺跡の発掘調査で、市内には約300か所の埋蔵文化財包蔵地、古墳も200基以上確認されているが、なぜこんなに遺跡が多いのだろう?」という疑問を改めて整理しました。すると、6世紀~11世紀頃の下野市とその周辺地域は、東山道(とうさんどう)沿線で新たな文化や技術が都からダイレクトに届く古代の一等地で、さまざまな文化や技術を保持した渡来系(とらいけい)の人々や都からの人々が往来した地域だったことを再確認できました。
かつて本市に所在した下石橋愛宕塚(あたごづか)古墳や壬生町の車塚(くるまづか)古墳、上三川町の多功大塚山(たこうおおつかやま)古墳は、645年の乙巳(いっし)の変(へん)(大化(たいか)の改新(かいしん))、663年の白村江(はくそんこう)の敗戦、672年の壬申(じんしん)の乱(らん)を経て、676年に天武(てんむ)天皇が新たな都をつくる構想を立て、都が近江(おうみ)から飛鳥に移り、持統(じとう)天皇に引き継がれ藤原京(ふじわらきょう)が完成した頃に造られた古墳です。この都では、本市と深い関係を持つ下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)が活躍しました。古麻呂は大う宝律令(たいほうりつりょう)の編さんのほか、飛鳥の地に若くして崩御(ほうぎょ)された文武(もんむ)天皇の御陵(ごりょう)(推定では中尾山(なかおやま)古墳)の造墓プロジェクト責任者も果たしました。このように、飛鳥地域とは昔からつながりがあったのです。
根拠がないわけではありませんが史料がないので想像となりますが、古麻呂を含め多くの人たちが、飛鳥藤原の都と下毛野・東国(とうごく)を頻繁に往来して、地方が出来上がっていったと考えられます。現代ならメールなどで国-県-市町村で時間を置かず情報が伝わりますが、当時は東山道を経由して5日程度かけて情報が伝わり、国の出先機関の国府(こくふ)から郡役所-村々(里(り)・郷(ごう))へと情報が伝わったと考えられます。もしかすると、政府の中枢部にいた古麻呂は政府発表前に貴重な情報を本貫地(ほんがんち)の当地に伝えていたかもしれません。

名前が知られていなかった下野市も数か月前に「住みやすい街」に選ばれ、また、石橋高校野球部の皆さんの活躍のおかげで「石橋高校の所在する下野市」と、昨今は知名度が上昇しているようです。
来年も甲子園球場で石橋高校を応援するために往来ができたら、古代の人たちはこの距離を34日かけて歩いたと考えながらバスに乗ってみてください。

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