■ピンチを乗り越えた日光
〇さあ、前回の話の続(つづ)きだよ。勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開かれた日光には、その後、多くの社寺が建(た)てられたんだけれど、戦国(せんごく)時代に豊臣秀吉(とよとみひでよし)と対立したことで、領地(りょうち)の大部分が没収(ぼっしゅう)されちゃったんだ。
◇えええ! それは大変(たいへん)。日光の社寺、大ピンチだね。
〇でも、時代は流れ江戸(えど)時代に入り、日光の社寺が再(ふたた)び栄(さか)える大きな出来事が訪(おとず)れたんだ。
◇も…もしかして日光東照宮(とうしょうぐう)が造(つく)られたとか?
〇そのとおり! 江戸幕府(ばくふ)の初代(しょだい)将軍(しょうぐん)徳川家康(とくがわいえやす)は、亡(な)くなった翌年(よくねん)、遺言(ゆいごん)通(どお)り日光山に祀(まつ)られたんだよ。当時は、東照宮ではなく「東照社(とうしょうしゃ)」って呼(よ)ばれていたんだけどね。
◇東照社…さぞ豪華絢爛(ごうかけんらん)な建物(たてもの)だったんだろうね!
〇いやいや、実は最初(さいしょ)に造られた東照社は、質素(しっそ)な建物だったんだよ。三代将軍の家光(いえみつ)の時代に、きらびやかな建物に造り替(か)えられたんだ。
◇へー、知らなかった。陽明門(ようめいもん)や三猿(さんざる)、眠(ねむ)り猫(ねこ)などの彫刻(ちょうこく)も、そのときに造られたんだね。
〇東照宮には、5、100を超(こ)える精密(せいみつ)な彫刻があるんだよ。そのすべてがそれぞれに意味を持っていて、平和への願(ねが)いが込(こ)められているんだ。
◇すてき!! その一つひとつの願いが、今の日光の歴史につながっているんだね。
問合せ:文化財課
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