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世界遺産登録25周年特別連載 教えてムサっぺ!「日光の社寺」 第6回

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栃木県日光市

■神仏分離(しんぶつぶんり)から現在まで

〇前回の復習(ふくしゅう)だよ。東照宮(とうしょうぐう)は、江戸幕府(えどばくふ)の三代将軍(しょうぐん)徳川家光(とくがわいえみつ)によって、現在(げんざい)のような豪華(ごうか)な建物(たてもの)に建(た)て替(か)えられたんだ。その後、家光の墓所(ぼしょ)である「大猷院霊廟(たいゆういんれいびょう)」が建てられ、これらは日光を代表する建造物(けんぞうぶつ)になっているんだ。

◇戦国(せんごく)時代の混乱(こんらん)を乗り切った「日光の社寺」は、それからずっと何事もなく美しい姿(すがた)を今に伝(つた)えているんだね。

〇それがちょっと違(ちが)うんだよ。まだ一波乱(ひとはらん)あったんだ。

◇えー! まだピンチが続いたの?

〇江戸幕府が倒(たお)れたあと、明治政府(めいじせいふ)が出した「神仏分離令(れい)」によって、もともと一緒(いっしょ)に祀(まつ)られていた神様と仏(ほとけ)様は、別(べつべつ々)のものとして分けられたんだ。

◇確(たし)か7月号で教えてもらったね。でも、それが何か関係(かんけい)あるの?

〇大ありだよ。神仏分離令を受け、全国で神社から仏様を排除(はいじょ)し、仏像(ぶつぞう)などを破壊(はかい)する動きもあったんだ。

◇日光は大丈夫だったの?

〇「日光の社寺」は、関係者(かんけいしゃ)や地元住民(じゅうみん)の必死(ひっし)の働(はたら)きかけによって、三仏堂(さんぶつどう)の移転(いてん)などの最小限(さいしょうげん)の影響(えいきょう)で済(す)んだんだよ。

◇当時の人たちに感謝(かんしゃ)だね。

〇また、この直前に起きた戊辰戦争(ぼしんせんそう)の時に、日光の社寺が壊(こわ)されないように奮闘(ふんとう)した人たちの努力(どりょく)も忘(わす)れてはならないよ。

〇その人たちのおかげで、今の美しい「日光の社寺」があるんだね。

◇世界遺産「日光の社寺」の連載(れんさい)は今回で最後(さいご)。次号からは日光杉並木街道(かいどう)について紹介(しょうかい)していくよ。

〇楽しみだね〜。

問合せ:文化財課
【電話】0288-25-3200

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