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文化の泉宝物(たからむん)No.53

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沖縄県南風原町

■日本初の文化財指定!(陸軍病院壕)
黄金森にある沖縄陸軍病院南風原(以下:病院壕)は、第二次世界大戦の戦争遺跡として、南風原町が一九九〇年に日本で初めて文化財に指定しました。この日本初の文化財指定を行うまでには、様々な課題がありました。
この文化財指定へのきっかけとなった出来事の一つが、厚生省(現:厚生労働省)により行われた「遺骨収集」です。
戦後沖縄各地で戦没者の遺骨収集が行われました。黄金森周辺で農業をしている方に話を聞くと、畑を耕すたびに人骨が見つかったそうです。
一九七〇〜八〇年代には、厚生省や陸軍病院の関係者による遺骨収集が黄金森で行われました。特に厚生省の遺骨収集は、大型の重機で壕があると思われる場所を掘り返し、地形や壕の破壊を伴うものでした。また、記録もほとんど取られませんでした。
この時作業を見ていた南風原町の文化財保護委員は、病院壕の記録と保存に関する話し合いを行い、緊急の測量調査や聞き取り調査を行います。
その後に発刊した報告書では、「黄金森は南風原の歴史の〝宝〞であり、戦争を知らない世代にとって〝戦争を知る生きた教材〞である。黄金森にある壕が永久に破壊されてしまうと、後世に遺恨を残すにちがいない。」と記し、病院壕を保存する必要性を訴えました。
そして、南風原町は一九九〇年に「病院壕は沖縄戦の生き証人であり、町民のかけがえのない共有財産である」として、文化財(史跡)に指定しました。
しかし、この時文化財指定に向けて国や県に相談をしたところ、時代が古くないため文化財にはそぐわないと言われたそうです。また当時は、文化財保護法に第二次世界大戦の戦争遺跡を文化財として扱う決まりがありませんでした。
そこで、南風原町は独自に町の文化財指定基準を改正し、「沖縄戦に関する遺跡」も文化財指定できるようにしました。
その後、広島の「原爆ドーム」を世界遺産にするための動きをきっかけに、一九九五年に文化財保護法も改正されます。
南風原町独自の文化財指定基準の改正は、文化財保護法の改正に影響を与えたとも聞き、とても画期的な取り組みといえます。(保久盛)

問い合わせ:南風原文化センター
【電話】889-7399

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