皆さんは遺跡というとどのようなものを思い浮かべるでしょうか。
中城城跡、古墳、吉野ケ里遺跡、ピラミッド、モヘンジョダロ…。
遺跡とは、過去に人が活動してきた痕跡の残る場所のことを言います。今回は皆さんに身近な、西原町の遺跡をご紹介します。
古い時代の遺跡としては、現在の西原ハイツ一帯に「我謝遺跡」(字与那城・字我謝)があります。
我謝遺跡は、西原ハイツの造成前に大規模な調査が行われ、多くの遺物が出土しました。出土した遺物には、グスク時代(一二世紀~一六世紀)のころの土器や中国の陶磁器等が出土しています。ほかにも、縄文時代後期(四千年から三千年前)の土器も含まれていました。このことは、縄文時代後期にはこの場所を人が利用していた証しになります。
また、棚原グスク・幸地グスク・津記武多(チチンタ)グスク・イシグスク等の遺跡もあります。これらはすべて丘陵地に所在しているのが特徴です。また、遺物散布地(さんぷち)(その土地の地表面で土器や陶磁器などの遺物がみつかった場所)も多く確認されています。例えば、内間集落の発祥(はっしょう)の地と伝わるカヤブチ御殿がある一帯は、調査により、グスク時代の土器や陶磁器などが出土しています。このことから、グスク時代からこのあたりで人が活動していたことが推測されます。
ただし、一七世紀以前の遺跡については、古い記録や古文書などの文字記録がなく、だれが住んでいたのか、どのような集落・場所だったのかなどは、はっきりしません。
西原町内で、文字記録によってどのような場所だったのか、どのような意図で整備されたのかなどの、記録が残る遺跡としては、「内間御殿」(国指定史跡)が挙げられます。
このように、西原には多くの遺跡が存在します。十二月一日から、西原町立図書館エントランスホールにて「西原の遺跡展」を開催予定です。ぜひ皆さんにも、身近な遺跡を知っていただきたいです。
お問い合わせ:文化課 文化財係
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