◆西江御殿(イリーウドゥン)跡地の拝殿(はいでん)が新しくなりました!
西江御殿は、内間御殿(うちまウドゥン)(※1)の敷地内にあったとされる神殿の一つです。そもそも内間御殿とは、琉球王国第二尚氏王統の最初の王である尚円王(しょうえんおう)(金丸(かなまる))が、王になる前に住んでいた場所に、尚円王を祀るために建てられた神殿(東江御殿(アガリーウドゥン))を中心とした祭祀施設のことです。その東江御殿の北側に、西江御殿と称される神殿が建っていたようです。
この西江御殿は、一七〇六年に、西原間切の住民によって建てられた三間(けん)×二間(けん)半(※2の茅葺きの神殿でした。しかし、のちに首里王府は西江御殿を王府の管理下に置いて、看守(御殿守(ウドゥンムイ))をつけます。また、王府は一七三七年に、西江御殿の屋根を瓦葺きに改修し、周囲には竹垣を巡らす整備を行っています。
その後、沖縄戦の影響により建物は焼失してしまいますが、かつて西江御殿が建っていたと推定される場所には、切石(きりいし)で囲われた基壇(きだん)(建物の土台)がよく残っています。戦後には、西江御殿の祭祀に関わっていたとされている一族(イリー門中(もんちゅう))により、一九五一年頃に茅葺きの仮設の拝殿が建てられ、一九六〇年頃には木造トタン葺きの拝殿[写真(1)]に改築されました。
今回は、この拝殿が老朽化していたことから、令和五年度に修繕を行うことになりました。修繕前の拝所と同規模程度での修繕ではありましたが、内部の空間を少し広くし、内部の天板や側板をトタンから木材に変更しています[写真(2)]。
西江御殿は、東江御殿と違い、焼失前の写真等の記録が確認されていないことから、どのような建物だったのか詳細が不明です。そのため、現段階では西江御殿の復元整備はできませんが、今後の発掘調査の成果や復元に必要な写真等の資料が整い次第、整備が可能となります。
ところで、内間御殿敷地内に所在する拝殿は木造の建築物であることから、その中だけでなく、周辺一帯も「火気厳禁」となっております。そのため、火災の原因となるような火気の使用(線香に火をつけるなど)を控えていただきますようご協力をお願いします。
※1 二〇一一(平成二三)年二月七日に国の史跡に指定。
※2 約5・4m×約4・5m。一間=1・81m。
お問い合わせ:文化課 文化財係
【電話】944-4998
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