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【特集】Pray for Peaceー平和を願うー(1)

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沖縄県那覇市

子どもたちの笑顔あふれる今、戦争は遠い国の話のように感じるかもしれませんが、ここ沖縄でも79年前に住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、まちは壊滅し、多くの尊い命が奪われました。同じ過ちを二度と繰り返さないために、一人ひとりが自分事として平和について考えて欲しい。
当たり前の日常が当たり前であり続けるよう願いを込めて。

■恒久平和のモニュメントなぐやけ
長い間、那覇市戦没者の慰霊祭は護国神社や市民会館で開かれていましたが、戦没者の名簿を奉納し悼む場所が必要との声をうけ、平成8年に「恒久平和のモニュメントなぐやけ」が建てられました。モニュメントのデザインは市内の中学生発案によるもので、沖縄の古語で「穏やか」「和やか」を意味する「なぐやけ」には、いつまでも平和でありますようにとの祈りが込められています。
30,728人の戦没者名簿が奉納された当モニュメント前では、犠牲になった人々の鎮魂と平和を祈念した那覇市戦没者追悼式(なぐやけの碑慰霊祭)が毎年行われており、まさに那覇市の平和の発信地とも言えます。

◇若狭海浜公園内にある恒久平和のモニュメント なぐやけ
・生きぬき 築き上げた都市
那覇ーその戦後は
米軍のバリケードで囲まれた
焼野が原から出発した
はじめに
103人の市民が生きぬいてもどった
なつかしい壺屋のまちに
多くのいのちを失い
ふるさと那覇も消滅し
悲しみは深かったが
打ちふるう復興の鍬には力があふれ
みんなまなこを
しっかり前へ向け
踏み出した
生活と都市再建の一歩を
それから
心のいしじを固く敷きつめ
平和通りをつくり
国際通りを開け
もうニ度と失うことのない
那覇を築いてきた
ここにくるまでに50年
103人は31万人へとかわった
那覇ーそれは戦争をしない都市
那覇ーそれは市民の愛が守るまち
那覇ーそれは市民が主人公の都市
那覇ーそれは世界の都市を友とするまち

私たちはいま、ここに
市民の誇りと勇気により蘇った
都市・那覇を世界に宣言する

1995年・沖縄戦終結50年宣言 那覇市

■次の世代へ平和をつなぐ
那覇市連合遺族会は、年一度の慰霊祭を主に活動していますが、旧盆供養や奉納名簿の虫干し、県内各地で行われる慰霊祭への出席なども行っています。
昨今の慰霊祭は、戦争体験者の減少や高齢化で参列者が少なくなり、次世代の認識も徐々に薄れてきているように感じます。それでも、沖縄戦で多くの命が犠牲になったことを風化させず後世に残すために、様々な策を練る必要があると思います。まずは、もっと多くの子どもたちに慰霊祭に参加して欲しいです。その子どもたちが、家族や友だちになぐやけの碑のことを話すだけでも平和が広がり、繋がっていくと思います。
今も世界では戦争が続いており、多くの犠牲者が出ています。79年前の沖縄戦も例外ではありません。今では、昔話のような遠い話になっている沖縄戦と世界の現状をつなげて考えることが大切です。そのためにも、次の世代を担う子どもたちに、平和の尊さと戦後の復興の大変さをアピールしていきたいです。
那覇市連合遺族会 会長 瑞慶山 良祐 さん

■写真で綴る あの日と今
◇激戦の痕跡
1944年10月10日、6時40分の第一波から9時間にわたる波状的空襲が行われ、旧那覇市街の90%が消失しました。不意の空襲に打つ手はなく、市民は飛び交う焼夷弾や銃弾の雨を避け、黒煙と火の海の中を命からがら逃げのびるのがやっとでした。

◇ゼロからの復興
戦後の混迷の中、露店や青空市から始まった商業復興の地。奇跡の1マイルと呼ばれる国際通りの脇に広がる「平和通り」の名称は、一般公募で決定しました。

※写真は本紙をご確認ください。

■復興と平和の象徴
毎年10月に行われる那覇大綱挽は、那覇の街を壊滅させた「10・10空襲」からの復興と平和の象徴として開催されています。今では、県内外だけでなく様々な国から多くの人が参加し、那覇の一大イベントとなっています。

取材:秘書広報課
【電話】862・9942

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