9月24日(日)、日野公民館で日野町認知症キャラバンメイト連絡会と町の主催で「オレンジフェスタ茶のみ処わたむき~やさしさでつながるみんなの笑顔~2023」を開催し、109名の方に参加していただきました。
当日は、認知症キャラバンメイト(本紙8ページ「まちのたから発見」で紹介しています)から活動紹介があり、講演会では「認知症とともに今を生きる」をテーマに、若年性認知症当事者である下坂厚(しもさかあつし)さんと伴走者の清水真弓(しみずまゆみ)さんより、認知症に対しての思いや、普段の生活で感じていることなどをお話しいただきました。
ここでは、下坂さんと清水さんのお話を一部ご紹介します。
下坂さん:46歳のときに若年性認知症の診断を受けました。当時は魚屋の仕事をしていたのですが、少し前からお客さんからの注文を間違える、仕事の手順を忘れるなどのミスが増えていました。その後、一緒に働く仲間の名前がわからなくなったり、通勤ルートを間違えるようになり、もの忘れ外来を受診しました。
清水さん:46歳でもの忘れ外来を受診することには、かなり勇気が必要だったのではないですか?
下坂さん:インターネットで調べるとたくさん情報が出てきますが、ほとんどが良くない情報で、いろいろな葛藤(かっとう)がありました。「認知症の診断が出たらどうしよう」と悩み、「認知症ではない」とお医者さんに言ってほしいという思いがありました。
清水さん:私が初めて下坂さんにお会いしたのは認知症と診断された当初でした。診断されたことで仕事も自主退職され、かなり落ち込んでいる様子でした。何も話さないし表情もない、そんな下坂さんを見て、半年後、一年後を考えると「今なんとかしなければ」「閉じこもらず外に出てもらいたい」という思いがありました。
下坂さん:診断された直後はかなり落ち込んで、自宅に引きこもっていました。紹介してもらった高齢者のデイサービスで、ボランティアとして働かせてもらうことになり、最初は「ボランティアなんてする気になれない。でも断るのは悪いから、一回見に行って断ろう」と思っていました。
清水さん:下坂さんは結局ボランティアに行くことになり、その後常勤の介護職員として採用されました。利用者さんの食事や送迎の補助、デイサービス内の移動介助をされました。魚屋さんで働いておられたのでレクリエーションでマグロの解体ショーもされていました。そうした介護の仕事をする中で感じた事はありますか?
下坂さん:もともと介護の経験もなく働くことになりました。デイサービスでは80代90代の戦争を体験された方や身体が思うように動かない方、認知症の方がおられました。皆さんに話を聞くと「不便、不自由なところはあるけれど、こうして生きているだけでありがたい」と言われる方もいたんです。認知症になり仕事もやめて、社会に自分の居場所がないと思い、仕事をバリバリすることが良いというこれまでの自分の価値観が、こうした方々と毎日接していることで少しずつ変わっていきました。「生きているだけでありがたい、すばらしい」と自分自身も思えるようになりました。
清水さん:「認知症とともに今を生きる」ということで、下坂さんから伝えたいメッセージはありますか?
下坂さん:自分自身も認知症については、「何もできなくなる」とか「認知症になったら終わり」というイメージをもっていましたが、実際はそうではなかったと思います。できにくくなることは増えるのですが、できることもたくさんあります。周りにフォロー、手助けしてもらいながら今まで通り生活していける。「知られたくない」とか、不安な思いばかりが募ると、家族や周りの人も、本人に対して「外に出ないでね」となり、周りとの接触がなくなって閉じこもりがちになり、認知症は進行していきます。認知症になってもやりたいことをしている、外に出て活動している、自分らしく暮らしている、そのような人は10年たっても元気な人もいるし、一概に「認知症の人」とひとくくりにはできないと思います。認知症の初期段階からの関わり方がとても大切だと思います。もし、身近な人が認知症になったときは、それまでと変わらず付き合うことが一番良いと思いますし、そうしてもらいたいと思います。
清水さん:認知症と診断されると、最初は絶望して何もかもできないと思ってしまう。でも、できることもたくさんあると理解して関わってほしい、何かを支援するのではなく、伴走者としてその方と一緒になりサポートしてほしいと思います。
認知症は誰もがなり得る身近な病気です。
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