有線放送電話
昭和30年頃、農村の情報伝達手段は、人が触れに回ったり、回覧板しかなく、遠方への連絡は「電報」を利用していました。もちろん電話はあったのですが一部の商店や家にしか無かったため、当時は個人所有でありながら地域の公衆電話のような利用もされていました。また、台風や水害等の危険を知らせる手段としては鐘を叩き、サイレンの吹鳴をしていました。
このような状況のため町内の電話通話と地域情報の放送を業務とした有線放送電話は町民にとって正に待望のシステムでした。
甲良町では昭和38年(1963)に甲良町有線放送農業協同組合(KHK)が設立され、翌39年6月1日から業務が開始されました。有線本部には、甲良町が県下のトップを切って導入した全自動秘話式交換機が設置されました。これまでは受話器をとると交換手が出て、通話内容も他の加入者に聞こえるものでしたがダイヤル自動式電話は早くつながり秘密が守られ、気軽にかけられるため住民は大いに利用しました。加入者宅には、放送が流れる箱型のスピーカーボックスの上にダイヤル式の黒電話機が設置されました。
有線放送はアナウンスや放送内容等に統一された基準はなく、職員や地域の創意工夫による運営に任されていました。特に放送については初めての事、慣れない苦労もありアナウンサー研修や番組作り、編集等、各種の研修に参加し「正しく、分かりやすく」をモットーに親しまれる放送を心がけました。放送時間は朝の6時30分、12時、午後3時、7時、9時の5回でした。
オープンリールテープレコーダー(デンスケ)を持って、地域行事や住民の声の取材番組、役場や集落情報、防災情報や出生、お悔やみ、町内住職の法話、農業普及員のお話、学校だより、物語の時間等多くの地域に密着した放送をしました。
懐かしい思い出は「そろばん教室」。各家の電話機スピーカーの前に机を出し、「願いましては、何円也、何円也」と読み上げる声に合わせて子どもたちが「そろばん」をはじき、電話機で答えを回答します。正解すると自分の名前を呼んでもらえるので人気の番組でした。
昭和43年(1968)には、電電公社(現NTT)電話と有線電話の接続業務が開始され、より便利になりました。そして、昭和45年に業務は組合から町に移管されました。昭和49年には公社電話が有線から接続廃止されたため各家庭には公社電話と有線電話が2台並び、町内へは有線を町外へは公社電話を使う状況でした。
長らく地域の情報通信の役割を担ってきた有線放送ですが、昭和60年(1985)本部の交換機等の老朽化により、広報、緊急放送のみを行う運営となりました。各家庭では電話機が撤去され壁掛型のスピーカーが設置されました。この時に各集落公民館、学校及び保育園より支部放送ができるように改修されました。そして平成8年(1996)防災行政無線へと変わっていきました。
参考資料:甲良町有線放送のあゆみ、安土町有線放送38年のあゆみ、甲良町勢要覧1965
問合先:ふるさとプロジェクト(図書館)
【電話】38-8088【FAX】38-8089
<この記事についてアンケートにご協力ください。>