■無意識の偏見について
ずいぶん前から、学校では「父兄(ふけい)」という言葉は使いません。家庭でこどもを守り育む存在を「保護者」と呼びます。
同様のことは他でも見られます。「女優」は「俳優」、「女医」は「医師」、「保母」は「保育士」、「看護婦」は「看護師」、「嫁」は「子の妻」、「婿」は「子の夫」、「主人」は「夫」…。このように、メディアや個人で意識して使うことが増えてきました。
ある年代以上の方にとっては、それぞれ先に挙げた言葉のほうに親しみがあるかもしれません。ただそれが、ある種の偏見を植え続けていたことに、私たちは気づき始めています。
ある種の偏見とは次のようなものです。こどもの教育などの決定権は父や兄にあるとか、女性の医師や俳優は稀な存在だとか、逆に保育士や看護師は女性が基本だとか。嫁や婿という表現は、結婚で個人と個人が結び付く以上に、「家」に入ることを強調しますし、妻の立場で使う主人という表現は、実際はどうであれ、妻自身を従う立場に置きます。
無意識に悪気なく使う言葉に含まれる偏見は、無意識に社会のムードを作り、人々の意識に植え付けられていきます。
それに気づいたことで、私たちの社会は少しずつ変わってきているように思います。このように、言葉一つひとつにこだわりながら、小さな変化のすそ野を、みんなで一緒に広げていきましょう。
問合せ:人権推進課人権教育室
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