■歌川貞虎(さだとら)『近江八景之内矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)』
(草津市蔵・中神コレクション)
琵琶湖周辺の八つの景勝地「近江八景」の一つである「矢橋帰帆」を題材にした作品です。作者の歌川貞虎は美人画・役者絵で有名な歌川国貞の弟子で、この作品は文化12(1815)年~天保13(1842)年に制作されたものと推測されます。
女性は化粧と髪型から見て年若く、前髪に挿した鼈甲(べっこう)のかんざしと塗りの櫛(くし)、華やかに結んだ赤い帯と振袖から、裕福な家の娘と考えられます。
後ろにいる子どもはきょうだいでしょうか。髪型から4、5歳くらいと思われ、薄いまゆやふっくらした輪郭に、幼い可愛らしさが描写されています。
子どもが夢中になって覗き込んでいるのは、帆掛け船といかだのミニチュアです。手前には虫かごも置かれており、微笑ましい遊びの光景と「帰帆」をリンクさせる趣向です。
上部に配された「矢橋港」の風景は、人物画の背景としては詳細な描写です。同じ「近江八景之内」シリーズの他作品を見ても、風景はパノラマ写真のように写実的に描かれており、作画する上でのこだわりだったのかもしれません。ここでは、帆を立ててこちらに向かってくる船の他、高札場(こうさつば)や常夜灯(じょうやとう)、漁業に使う網が干されている様子も描き込まれています。江戸時代の矢橋港は、大津まで湖上を船で向かう東海道の近道として旅人の渡し場であったとともに、米をはじめとした物流の要所でもありました。江戸時代後期の『東海道名所図会』にも、この作品とよく似た矢橋港の様子が描かれています。
昭和57(1982)年、矢橋港跡では、発掘調査で江戸時代の石積突堤(いしづみとってい)が発見され、かつての船着場の姿の一端が明らかになりました。現在ではその成果を元に、3本の突堤が復元整備されています。矢橋帰帆島が造成され、湖岸線も変わり、琵琶湖に開かれたかつての港の景観は失われていますが、浮世絵などの絵画作品や『東海道名所図会』などの歴史資料、発掘調査の成果を併せて、当時の姿をしのぶことができます。
問合せ:歴史文化財課(6階)
【電話】561-2429
【FAX】561-2488
<この記事についてアンケートにご協力ください。>