■古(いにしえ)写真館(7) 友好都市との交流
今回は、「姉妹都市」の盟約を結んで40年の節目にあたる、北海道松前町との調印式の写真を紹介します。「姉妹都市」とは、地理的な隔たりがありながらさまざまな縁から文化交流や親善を目的として結びついた、自治体の友好関係を示す名称です。
本市は、国内に3自治体、海外にも4自治体と友好都市の盟約・提携を結んでいますが、その名称はバラエティに富んでいます。「姉妹都市」の名称は松前町のほか、平成9年11月に盟約を締結した北海道上ノ国町、海外では、昭和61年8月のアメリカ・ミシガン州のグランドラピッズ市、平成6年12月の韓国・慶尚(きょんさん)南道密陽(みりゃん)市、平成17年2月のイタリア・ロンバルディア州マントヴァ市で使われています。一方、静岡県富士宮市とは、古事記にみられる富士山伝説にちなんで、昭和30年代初期から本市の「富士と琵琶湖を結ぶ会」が毎年行っている「富士登山」が縁となり、昭和43年8月に「夫婦都市」の名称で友好都市の盟約を結んでいます。また、本市名誉市民第1号となるW・M・ヴォーリズの故郷アメリカ・カンザス州のレブンワース市とは、ヴォーリズが創設した「近江兄弟社」の「兄弟」が、⽬的に向かって⼼をひとつにする仲間という意味を持つことから、平成9年2月に「兄弟都市」として盟約を締結しています。
さて松前町とのつながりですが、江戸時代初期までさかのぼります。近江八幡の商人と、現在の滋賀県彦根市の薩摩・柳川(やながわ)村の商人を合わせた「両浜組(りょうはまぐみ)商人」と呼ばれた商人団は、松前藩との交易や、場所請負という漁場開発などの経済的支援を行い、松前藩からは本州からの交易品に対する税金の一部免除など特別な恩典が与えられていました。近江八幡からは12人の商人が松前に進出していたようです。そのうち、江戸時代から明治時代にかけて松前と交易していたのは、西川伝右衛門と、北海道指定の文化財である『松前屏風(びょうぶ)』を松前藩に寄進した岡田弥三右衛門(やざえもん)の2家になります。江戸時代は、琵琶湖と日本海の恩恵により、江戸行きよりも短い日数で物資を大量輸送できたからこそ、両地のゆかりが生まれたのです。
松前町・旧近江八幡市ともに町・市制30周年にあたる昭和59年10月3日、松前町の近藤忠夫町長・岩橋福蔵町議会議長をはじめ、総勢51人を本市に迎えて、調印式が行われました。松前町の皆さんは、前日に松前町を出発し、青函連絡船・大型バスを乗り継ぎ、22時間かけて本市に到着されています。
1.文化会館展示室で行われた調印式
2.署名する近藤忠夫町長(右奥)、奥野泰三市長(中央左)
※写真は本紙をご覧ください
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