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ふるさと再発見 Re:discovery Omihachiman 第62回

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滋賀県近江八幡市

■まちのなまえ(11)
「八幡」—八幡の町の由来—
今回は八幡学区のうち、豊臣秀次によって開かれ、66か町で構成されている八幡堀周辺の旧城下町の各町の由来について、いくつかの特徴に分けて紹介します。
まず、当時の職人集団が居住したことによる町名を紹介します。北東エリアには鍛冶屋町、大工町、鉄炮町、船町などの町名が見受けられます。また同じ職人集団にちなむ名前で桶屋町(現為心町上・為心町中)、畳屋町(現西畳屋町・東畳屋町)、玉木町などがあり、これらは主に中央に所在しています。ちなみに玉木町は玉貫(たまぬき)・玉抜(たまぬき)の転訛(てんか)で、そこから数珠職人が居住していたともいわれています。同じく中央には魚屋(うわい)町と仲屋(すわい)町があります。魚屋町は字のごとく、当時この辺りに魚屋が多かったことに由来します。「うわい」という呼称は、魚市(うおいち)がなまったものといわれています。仲屋町は、元々商売の仲介を意味する牙儈(すあい)が変化したものです
次に、豊臣家に仕えていた人物に由来を持つ町名を紹介します。孫平治町は後に甲賀市の水口岡山城城主にもなる中村一氏(かずうじ)の通称「孫平次」から名付けられています。為心町は為心斎が由来になっているといわれてます。大杉町は別名を久兵衛(きゅうべえ)町と呼び、数々の城下町整備で知られる田中吉政(よしまさ)の別名「久兵衛」が由来となっています。さらに仲屋町の別名は市助(いちすけ)町といい、一柳(ひとつやなぎ)直末の別名「市助」にちなみます。
その他では、安土城下町から八幡山城下町へ町が移転した際、そのまま町名が引き継がれている事例もあります。池田町、佐久間町、正神町、慈恩寺町、新町、永原町などがあり、町名から町の移転をうかがうことができます。池田町と佐久間町は、織田信長の家臣の名前から名付けられたといわれています。正神町は安土町下豊浦の活津(いくつ)彦根神社付近に住んでいた人々にちなみます。慈恩寺町に関しては、魚屋町と為心町を境に西側の蒲生郡第5区(32か町)と東側の蒲生郡第6区(34か町)に分かれていました。明治18年、区制から町制への移行で合併が行われ、再び66か町となりました。
過去のことを知ることは、現在をより深く知ることにつながり、それは生活の豊かさへと結びつきます。皆さんも、さまざまな「まちのなまえ」から過去を探求してみてはいかがでしょうか。

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