■古(いにしえ)写真館(1)「春の祭礼」
現代において「写真を撮る」ことは、いつでもどこでも誰もが簡単にできる日常行為のひとつとなりました。しかし、まだデジタルカメラや携帯電話が普及していなかった頃、その行為は特別なものでした。それゆえに、大正から昭和初期頃の写真には、記念写真や記録、観賞を目的としたものなど、非日常を写したものが多くみられます。
今回からは、このように残された古写真とその記録を紹介します。初回は、特別な「ハレ」の日である「春の祭礼」を記録した古写真を紹介します。
1枚目は小田神社(小田町)の、四月祭を記録した写真です。小田神社では、現在の江頭町・小田町・十王町が中世に邇保庄(にほのしょう)と呼ばれる荘園だった結びつきから、氏子三郷で祭礼が行われます。古写真からは、大太鼓を担ぐ人々や、神輿(みこし)も見られます。
2枚目は同じ場所を写した近年の写真です。比較すると、道は舗装整備され、担ぎ手の足元は地下足袋から運動靴に変わり、見守る人々の服装も洋服へと変化していますが、祭礼そのものは変わらず受け継がれてきたことが分かります。また、古写真に写る大半の人が帽子を被っていることからは、当時の流行をうかがえます。
3枚目は日牟禮八幡宮(宮内町)の例大祭、八幡祭の写真です。八幡祭は、八幡山城築城以前から千年以上の歴史を持つ祭りで、当時からの氏子である旧村落の十二郷が奉仕します。初日の宵宮祭(よみやまつり)は古例の順で松明に奉火し、翌日の本祭では若衆が各郷の大太鼓を担ぎ、練り歩きの後に社参し、神事を行います。この写真に写る大太鼓の郷は特定できませんが、太鼓の打ち方は各郷で異なり、それぞれ特徴があります。法被姿の男たちが大太鼓を担ぎ、多くの人々が見守る様子は、現在も変わらず見られる光景です。
都市化による地域交流の疎遠化や、流行病による集会の回避など、この数年は特に祭礼を執り行うことが困難な場面に直面してきました。しかし、人々によって守られてきた伝統は、時代に適応し変化するものもありながら、本質は変わらず各地域のアイデンティティとして受け継がれています。非日常である「ハレ」の日を写した古写真からは、祭礼を守り伝える人々の変わらない姿を見ることができます。
1.小田神社四月祭(大正14年 小田神社蔵)
2.小田神社四月祭(平成17年 本市撮影)
3.日牟禮八幡宮太鼓祭(昭和27年 重野善之氏蔵)
※写真は本紙をご覧ください
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