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第115回 温故知新~うと学だより~

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熊本県宇土市

■立岡(たちおか)池と花園(はなぞの)池

宇土の桜の名所といえば、宇土市立岡町と花園町、そして宇城市松橋町古保山にまたがる立岡自然公園(29万7,300平方メートル)です。約2千本の桜が植えられている県内有数の花見スポットで、桜の開花時期には多くの花見客で賑わいます。
立岡自然公園には、堤防で仕切られた大きな池が2面あります。東側が立岡池(約130平方メートル)、西側が花園池(約90平方メートル)で、いずれも江戸時代に造られた灌漑用のため池です。

■立岡池
2面の池のうち、立岡池が歴史が古く、江戸時代には「立岡堤」、大正時代頃までは「立岡溜池」と呼ばれ、農業用水を確保するために江戸時代の初め頃に加藤清正によって築造されたと伝えられています。しかし、清正による工事を裏付ける史料はなく、伝承の域を出ません。善道寺、境目、松山、下松山方面への井手(用水路)も掘られ、これらの地域の田畑に立岡池から水が送られました。
そして、江戸時代後半の文政7年(1824)から同12年にかけて池の拡張工事が行われ、これにより池の貯水量が増加し、それに伴い水懸(みずがか)り(受益地域)の村も拡大しました。この時の受益村は現在の宇土市東部の立岡村、古保里村、善道寺村、境目村、松山村、下松山村、伊無田村、現在の宇城市不知火町の一部にあたる小曽部(こそぶ)村、柏原(かしわばら)村、御領(ごりょう)村、高良(こうら)村の合計11か村で、受益面積は293町3反2畝9歩(約300万平方メートル)に及びました。

■花園池
堤防を隔(へだ)てて西側にある花園池は、幕末の安政元年(1854)から翌年にかけて築造されました。有明海沿岸地域の田畑は、河口に近い緑川から迂回して水を引いていたため、海水による穂枯(ほが)れや虫(カニ)害が多く、また低湿地だったため大雨後は水はけが悪く、しばらく浸水状態が続くという農業にはあまり適さない土地でした。
そこで、新たに花園池が築造され、池から沿岸や河口地域の田畑に水が送られました。さらに花園池から宇土の船場口(馬之瀬町)までの区間に「新川」を開削(かいさく)して通水させることで、緑川から海水の逆流を防ぎました。これにより損米(そんまい)(虫害や塩害で傷んだ米)が大幅に減少しました。

■県内屈指の桜の名所に
立岡自然公園に桜が植樹されたのは、実は昭和以降のことです。確認できる最初の植樹は昭和11年(1936)のことで、この時は地元の佐野青年団が立岡池と花園池の間の堤防に桜苗を植樹しています。その後、昭和27年には地元の岡崎正人氏が私費を投じて吉野桜や山桜数百株を植樹し、さらに立岡池の自然公園化事業に伴い、昭和30年代には行政や地元住民らによる植樹事業が盛んに行われました。
大正時代まで宇土の桜といえば、轟御殿(宮庄町)や宇土城跡(城山)の桜が有名でしたが、昭和以降はこれに立岡池・花園池が加わり、地元住民の植栽活動により、今では県内を代表する桜の名所として市民に親しまれています。

問い合わせ:文化課 文化係
【電話】23-0156

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