鎌倉時代に建立され、県内最古の木造建築物として知られる城泉寺。今回は町が管理することになった経緯や昭和26~34年までの修理の歴史をたどります。
■町が管理団体に
昭和31年、明導寺からの申請により、本町が城泉寺(浄心寺)の重要文化財の管理団体に指定されました。文化財保護法には『所有者による管理が困難なときに、地方公共団体やその他の法人を指定して、文化財の保存のために必要な管理を行わせることができる』と定められています。
翌年には「湯前町重要文化財顕彰保存会設置条例」を改正し「湯前町文化財保護委員会条例」が制定され、文化財保護委員が設置されました。本町の文化財保護は城泉寺の保存運動から始まり、文化財全般へ広がったといえます。
■修理に尽力
戦後、最初に修理されたのは境内に立つ九重石塔でした。九重石塔は、昭和26年10月14日に襲来したルース台風で倒壊していました。町は倒壊直後から、修理に向けて国や県と交渉し、昭和29年に修理が完了しました。
昭和31年5月には阿弥陀堂(あみだどう)の屋根の葺替(ふきかえ)をされています。茅(かや)は上村(うえむら)(現あさぎり町)から調達しました。
同年6月には、本町から国の文化財保護委員会へ、阿弥陀堂の解体復元に向けての技官派遣を申請しています。阿弥陀堂は屋根の破損で雨漏りが進行していました。申請書には「建物全体に傾斜を来たし、木組みにもそれぞれ緩みを生じ、一度(ひとた)び地震の襲来や台風等来(きた)りなば倒壊の危険大なるものがあり」と書かれていて、屋根の葺替をしたばかりではあるものの、建物本体の修理も先延ばしにはできない状況だったようです。
同年11月には国庫補助金の交付を申請(左原文参照)。文語調が交じり、難しい言い回しもありがすが、町の執念が伝わってきます。こうして昭和33~34年に修理が行われることになりました。
■当時の補助金の交付申請文(抜粋)
(前略)これを解体復元するには壹阡萬(いっせんまん)円余の巨額の経費を要する由(よし)にて、国庫の補助を仰(あお)ぐに非(あら)ざれば到底(とうてい)管理団体及び地元民のみの負担にては復元覚束(おぼつか)ないのでありますが、復元せずしてこの侭(まま)放置し置き、若(も)し大風又は地震等のために倒壊したとすれば七百十余年の歴史を有する優秀な建築物並びに堂内安置の仏像も損傷は免(まぬ)かれず、一朝にして貴重な文化財数点を失い、悔(く)いを千載(せんざい)に残すことゝなり、国の文化的見地から甚(はなは)だ遺憾(いかん)と感ずるものであります。当町としては解体復元に異状な熱意を有し、地元負担は財政困難な折とは雖(いえど)もほかに優先して支出すべきだとの与論(よろん)が起り、本件に関し議会に提案せし処(ところ)、満場一致をもって別案を議決したので、ここに補助金の交付を申請するものであります。
■お知らせ
城泉寺の阿弥陀如来及び両脇侍像・鰐口(わにぐち)が10月22日~12月15日まで九州国立博物館(太宰府市)の文化交流展特集展示「人吉球磨の玉手箱」で展示されます。ぜひお越しください
教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)
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