前回は井上微笑(びしょう)の俳句から、大正12年(1923年)のお正月の様子を紹介しましたが、新暦のお正月でした。新暦のお正月から約1カ月遅れて、旧暦のお正月を迎えます。微笑は大正12年の旧正月にも俳句を残していました。
■元日の後の旧元日
「雑煮食ふや 元日の後の 旧元日」
「梅咲いて 旧元朝の 日和かな」
微笑の家では旧正月にお雑煮を食べ、二度目の元日を祝っています。新暦では2月にあたり、梅の花もほころんでいます。ちなみに今年の旧元日は、2月10日です。
「年玉や 配り来(きた)れる 福田寺」
「小僧連れて 和尚来るらし 年始哉(かな)」
「門松や 旧正月の 奥野村」
旧正月には多良木の福田寺から、和尚が小僧を連れて年始回りをしていたようです。お年玉は今ではお正月に子どもに渡すお小遣いですが、もともとは年始の贈答品のことでした。奥野村(現/多良木町)では、旧正月に門松を飾る家もあったようです。
■新暦と旧暦
日本では江戸時代まで、月の満ち欠けをもとに太陽の周期を考えた太陰太陽暦(旧暦)が用いられていました。明治6年(1873年)から太陽暦(新暦)が導入されました。新暦の導入から50年経っても、民間では旧暦の伝統が根強く息づいていたことが、微笑の俳句からうかがわれます。
■初山・手斧初め
「初山(はつやま)や 肩げし丸太 長長し」
「初山の 松を立てたる 艸(草)家哉(かな)」
微笑の旧正月の俳句には「初山」を詠んだものが多くあります。初山とは正月に山に入って初めて働く日のことで「若木切り」「若木迎え」などとも呼ばれます。柳田国男によれば、年神(としがみ)※の宿った木を家に持ち帰り、迎え入れる大切な行事でした。
球磨郡では正月2日の行事でした。微笑の俳句から、湯前町でも行われていたことが分かります。
「明星の 消えぬ山辺や 手斧初(ておのはじめ)」
「二日早や 初山をして 昼の風呂」
初山を「手斧初」とも呼んでいたようです。『球磨郡誌』などによれば、初山・手斧初の日は午前中に山に入り、薪を集める仕事始めの意味合いもありました。明星がまだ消えやらぬ早朝から山に入り、一仕事終えて、昼間から一風呂浴びるといった光景が見られたようです。
微笑の俳句は、文学作品というだけにとどまらず、歴史や民俗の資料としても読むことができます。
※年神…正月に家々に迎えて祭る神
教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)
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