菊池氏遺跡にまつわる、ちょっとおもしろい話を紹介します。
■中世武士の館は…?
菊池氏遺跡を構成する文化財として、初代則隆(のりたか)が構えたといわれる北宮館跡があります。もともと、菊之城跡と呼ばれていましたが、調査の結果、城ではなく館と考えられ、名称を北宮館跡と変更しました。
その頃の武士は普段は城には住まず、館に住んでいました。当時の館を描いた絵巻物では、周りに堀や板塀がめぐり、建物も板葺き屋根の平屋でした。立派な石垣や天守閣が登場するのは、ずっと後のことです。
守りに適していないので、敵に攻められたときには、近くの山城にこもって戦いました。ですが、館も攻められることがあり、14世紀中頃の南北朝時代には、北宮館が北朝方の合志幸隆(こうしゆきたか)に占拠されたようです。
館を奪われては一大事。館を守る武士たちは、盾を構え、門の上から矢を射かけて、必死で戦ったのでしょう。
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