■久留米市
▽龍護山千光寺(りゅうごさんせんこうじ)(あじさい祭)
久留米市山本町(やまもとまち)に所在する龍護山千光寺は、建久3(1192)年、もしくは治承4(1180)年、宋より帰国した臨済宗(りんざいしゅう)の祖、栄西(ようさい)(千光国師(せんこうこくし))が開基し、はじめ天台宗(てんだいしゅう)、のち日本の臨済宗寺院の先駆けとなった寺院です(現在は曹洞宗(そうとうしゅう))。
山号の「龍護山」は打ち続く火災を防ぐため、応永27(1420)年に、後小松(ごこまつ)院から賜った山号で、最盛期には、七堂伽藍(しちどうがらん)に7カ寺の塔頭(たっちゅう)があったと伝わります。江戸時代には久留米藩より100石を給され、筑後国曹洞宗の本寺として、12カ寺もの末寺が属していました。本堂脇には当時の格式を物語る駕籠(かご)が吊られています。
境内には、正平14(延文4年・1359)の筑後川の戦いの傷がもとで近くの谷山(たにやま)城で亡くなり、この地で荼毘(だび)に付されたと伝わる懐良親王(かねながしんのう)の御陵墓(ごりょうぼ)伝承地や供養塔、その戦いで親王を守り討死した公卿(くぎょう)たちの墓碑がある一方、北朝年号の「永和3(1377)年」銘がある梵鐘(ぼんしょう)もあります。この3年前まで九州を平定していた南朝方は今川了俊(いまがわりょうしゅん)に追われて、筑後を撤退、15歳の菊池武朝(きくちたけとも)の奮闘でようやく肥後を保っていました。
この年、懐良親王は戦乱で人々を苦しめた自らの罪を悔い、南朝の勢力回復を祈る悲痛な願文を高良山下宮社(こうらさんげぐうしゃ)へ奉納したとされ、千光寺は南朝の盛衰と大きく関わっています。
毎年6月の千光寺境内は7千株ものアジサイの花が咲き誇り、多くの参詣者をお迎しています。今年も6月1日(土)~30日(日)の期間、「あじさい祭」が開催されます。会期中は高校生以上入園料300円(中学生以下無料)となっています。
問い合わせ先:菊池プロモーション係
【電話】0968-25-7223
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