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連載 高森にわか

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熊本県高森町

高森町教育委員会では、にわかの調査事業を実施し、令和5年度に高森のにわか調査報告書を刊行しました。広報たかもりに連載し、にわかの調査を通じて、ここが面白い、特筆すべき点を町民のみなさんに紹介します!

■第3回 風鎮祭と「造りもん」
竹原 明理(熊本博物館学芸員)(高森のにわか調査員)

8月16・17日に風鎮祭を終え、町全体、お祭りの余韻もすっかり去った頃かもしれません。皆さん今年の風鎮祭はどのように過ごされたでしょうか。にわかや花火、交流センターでのステージなど、さまざまな場面が思い出されるかもしれませんが、にわかと並び風鎮祭に欠かせないのが「造りもん」です。連載第3回目となる今回は、本年3月に刊行された報告書で造りもんの調査に加わった経験から、風鎮祭における造りもんについて語ってみたいと思います。

▽風鎮祭と「造りもん」
「造り物」が登場する祭礼は全国各地で見られ、熊本でも宇土の地蔵祭りや矢部の八朔祭などがあります。造り物は江戸時代後期に風流の趣向として大都市圏から地方へ定着し、にわかや仮装行列などとあわせて展開していったと考えられています。風鎮祭でにわかと造りもん(かつては仮装行列も)が祭りの中心となっているのは、このことをよく残した形といえるでしょう。

▽みんなで担いだ造りもん
風鎮祭を報じた昔の新聞では、造りもんに関する記事が特に多く、山引きを見に町内外からたくさんの人が訪れた様子がわかります。明治30年代には80基ほどが出たという記録もあり、サイズも今より大型だったようです。巨大な造りもんが長い列をなして、町内を移動する光景は圧巻だったことでしょう。現在の山引きでは、造りもんを軽トラに載せ、向上会のアナウンスやお囃子と共に移動しますが、昔は皆で担ぎ、町内を練り歩きました。昭和初期~40年代頃までは、向上会を中心とした町内の青年たちが山引きの担ぎ手も担っていたようです。

▽時代とともに生きる造りもん
かつては「一夜作り」だったという造りもん。数時間で完成させる集中力と技術力、隣組を中心としたご近所同士の結束力が試される短期決戦。材料も近所から借り、終わったらもとどおりにして返す。こうした隣近所の交流が造りもんを支え、造りもんを作ることがまた地域の交流を支えていました。現在は、ライフスタイルの変化や隣組の戸数減少などによって、製作期間も作り手もさまざま。材料も昔のものを再利用したり、ホームセンターなどで調達します。「伝統」のやり方とは少しずつ異なりながらも、時代に合わせながら、今後も風鎮祭に一つでも多くの造りもんが登場し続けてほしいと願います。
造りもんは作るのが大変です。猛暑の中、作業場が屋外だと余計に体に堪えます。しかし、「ああでもない」「こうでもない」と考えを巡らせながら、黙々と作業している皆さんの姿が印象的で、こちらもワクワクしながら見学させていただきました。最後に、調査にご協力いただいた皆さまに心より御礼を申し上げます。

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