■市長ごあいさつ
七尾市長 茶谷義隆
七尾市は古くから日本海を臨む天然の良港として栄え、能登の政治・経済・文化の中心地として発展してきました。中世には能登国の守護・畠山氏が治め、居城した七尾城の山尾根が本市の名の由来といわれています。
時代は流れ、平成の大合併として全国の市町村で合併が進む中、平成16年10月1日に旧七尾市・田鶴浜町・中島町・能登島町が合併し、現在の七尾市が誕生しました。あれから20年が経ちました。
合併直前の平成15年7月には能登空港が開港し、能登の玄関口として地域住民の利便性向上と観光客誘致に力を発揮しています。平成25年3月には能登有料道路が無料化され、金沢と能登半島とを結ぶ大動脈として「のと里山海道」がスタートしました。平成27年2月には能越自動車道七尾氷見道路が全線開通し、同年3月には北陸新幹線(長野・金沢間)が開業しました。こうした交流基盤の整備促進を好機と捉え、市では、さまざまな交流人口の拡大を図る取り組みを進めてきました。スポーツ合宿のためのサッカーグラウンド整備やテニスコート整備のほか、世界農業遺産に認定された能登の里山里海を学ぶことができる「のと里山里海ミュージアム」や能登の文化である祭りを紹介する「和倉温泉お祭り会館」をオープンしました。
しかし、令和2年に新型コロナウイルス感染症が流行し、さまざまな行動制限により人の流れは途絶え、地域経済は疲弊し、次代を担う子どもたちの大切な成長過程にも大きな影響を与えました。そして、令和5年にようやく制限が緩和された矢先、今年の元日に能登半島地震が発生し、市内全域が大きな被害を受けました。
市制施行20周年を迎えた今、震災からの復旧・復興が最優先課題となっています。年内を目途に策定する「七尾市戦略的復興プラン(案)」では、(1)ハード・ソフト両面で災害に強いまちづくり、(2)地域資源を活かしたなりわいの再建と創造、(3)ヒト・モノ・カネの流れの回復と創出、(4)まちの持続を支える次代を担うひとづくりの四つの柱を掲げ、七尾の創造的復興に向け、しっかり取り組んでまいります。
今回の地震では、国内外の本当にたくさんの方々から多くのご支援をいただきました。そのような方々の中には、七尾を初めて訪れた方も少なくなく、多くの方に本市が持つ魅力を感じ取っていただきました。こうした新しいつながりを大切にしたいと感じています。これまで推し進めてきた観光やスポーツ合宿などによる交流人口の拡大に加え、本市に関係・関心のある方と積極的につながる機会を創出し、関係人口の創出と拡大にも取り組んでまいります。
また、人口減少が加速し、少子高齢化がより一層深刻となっていることから、地域コミュニティの再生と持続化を図っていかなければなりません。安心して子どもを産み育てられるような環境整備も進めていく必要があります。さらに自然豊かで七尾湾を望む風光明媚な景色やそこから育まれる豊かな食、いにしえから伝わる歴史・文化や祭りなどを未来へとつないでいかなければなりません。
このような課題をしっかりと直視しながら、これまで以上に魅力あるまちづくりに取り組んでいきたいと考えます。
次代を担う子どもたちのためにも、次の10年に向かって、夢や希望にあふれた魅力あるまちを共に築き上げていきましょう。
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