松原裕樹さん
職種:救急救命士
勤務年数:25年
原大智さん
職種:救助隊
勤務年数:12年
■能登半島へ、いつから応援部隊を?
松原:1月1日(祝)の地震発生直後に県から要請があり、応援部隊が同日から現地交代で能登半島に行っています。私と原隊員は、1月3日(水)から3泊4日で10人態勢で二次派遣として行きました。
原:今(2月現在)も応援が続き、県内7つの広域から約40人が集まっています。市では能登半島への派遣出発前に出発式を行い、士気を高めています。
■スムーズな派遣はなぜできた?
松原:平成7年に起こった兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)後、全国各地の消防応援体制が見直されました。県内でも見直しが行われ、そのときに締結した「石川県消防相互応援協定」により、今回の要請がありました。
原:県外の消防からも多くの応援があるのは、全国各地の消防と応援協力システムが構築されているためです。現地では、全国各地の車両ナンバーをたくさん見ました。
■現地ではどんな仕事を?
松原:土砂崩れの下敷きとなった住宅の捜索救助を行いました。最初は情報が少なく、1人いるかもと伝えられていましたが、追加で8人いることが翌日に分かり、再度活動を行いました。
原:実際の捜索救助では、県内の職員と協力して、安全確保をした上で、下段にあるような器具を使い、がれきや土砂をかきわけて行いました。
松原:捜索救助活動はもちろん、他にも、安否確認や、地震や津波の影響で通れなくなった道路が多かったため、通れる道を探したり、災害によって多忙を極める地元の消防職員の代わりに通常業務などを行いました。
■日頃から、大規模な訓練を行っている?
原:市にいる救助隊員は、市所有建物の取り壊しがあるときに、関係者の協力を得て、さまざまな現場を想定し、特殊器具を使った救助訓練を、月に1回程度実施しています。
松原:他にも特別訓練として、救助隊は年に36回、山地救助隊は年に12回、水難救助隊は年に24回訓練しています。
■能登に行って感じた思いは?
原:日々の訓練を生かして、被災地の第一戦として貢献できたことにやりがいを感じました。
松原:被災地は日常の光景とはまるで違っています。その中での捜索救助は大変難しかったですが、せめても行方不明者を見つけだし、ご家族に引き渡しができたらと思い、活動をしました。
■消防職員目線の災害の備えは?
原:災害が起こった時は自助、共助が大切です。自助としては、市販されている防災グッズがセットになった防災リュックを用意したり、3日分の最低限の食料や水分を備えておくことが大切です。実際に被災地では1~2日で物資が届きはじめましたね。共助としては、災害が起こった時に街のみんなで支え合える環境を整えることも大切だと思います。
松原:「生き延びる」ために、家の構造を知ることや、災害の種類によってどこに避難するかを家族で確認することも大切です。そんな話を家族で以前からしていたため、今回の地震で能登方面の実家にいた家族は、高台に1番にたどり着いたと連絡がありました。他にも被災地では、古い住宅は1階部分がつぶれ、2階部分が残る傾向にありました。地震が起こった時に何をするべきかは、自分がいる場所によって異なります。古い家であれば外へ逃げるためにドアを開けたり、耐震が強い建物であれば落下物から身を守るために机の下に身を置いたり布で頭を守るなど、自分がよくいる場所で想定することも大切です。
■被災地で実際に使用している、特殊器具などを紹介
▽ボルトクリッパー
金属などを切断する道具です。大きなニッパーみたいなもので、長いハンドルを動かして刃部に大きな力を加えます。
▽爪付手袋
爪がとがっていて、手掘りがしやすい手袋です。スコップが使えない要救助者周辺を、迅速に掘ることができます。
▽エンジンカッター
金属などを切るための道具で、建物に入りたくても扉が開けられない時や、障害物を切って先に進む時などに使います。
▽コンビツール(拡張・切断)
先端が開いたり閉じたりする道具です。障害物の向う側へ行きたいときに障害物をすごい力でこじ開けることができます。
▽防災ウェーダー
丈夫な三層構造と、ひざ補強で、破れにくい作業着です。がれきの中でも身体を傷つけることなく作業ができます。
▽チェーンソー
木を切るための道具で、多くの刃がついたチェーンが高速で回ることで倒木や建物の柱などを切ることができます。
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